76.花

花開くような笑顔を見たことがなかった。
赤みの差すふっくらした頬、薄い桃色の唇。しかし彼女の眼差しはいつも伏せられて、感情を映さない。
慈しむように凶器の手入れをする彼女の横顔は、可愛らしくも儚かった。
今にも掻き消える存在感は、まるで散る直前の花のようだ。
それ故の魅力というものも確かに存在するのだろうが、彼女には遥かに、咲いたばかりの花の笑顔のほうが似合っている。

「問題なしです」
ケースに刃物を仕舞い、彼女は立ち上がる。
腰で揺れるそのケースの中身は、本来この年齢の少女が持つものではない。
それに、彼女が戦いの中に身を置かずに日常に帰っていてくれれば、この淡い気持ちも芽吹かなかった。
不毛だと知って尚棄てきれないのは、自分の弱みか、希望か。
もし彼女が人に恋をすれば、少しは変わってくれるだろうか。
なんて、都合のいい妄想でしかないけれど。
「――大丈夫ですか?」
不意にかけられる言葉に、沈み掛けていた意識が現実に引き戻された。
丸い瞳で見上げてくるその姿の愛らしいこと。
込み上げる思いをなんとかおさえて、曖昧な笑みをつくった。
「大丈夫」
「痛かったら、言ってくださいね」
こてんと首を傾げて、彼女は言う。彼女は痛みに執着している。
日常に戻らないのも、それ故。
今よりもっと幼かった彼女の心は、痛みで壊されたのだ。
彼女はその心に、人生を注ぎ込んでも足りないほどのほどの怨嗟を秘めている。
自分に与えられた痛みを、その元凶をすべて消し去る。
そのためには自分を切り刻むことも厭わない。
あまりにも危ういその葉に、俺はただ、彼女が彼女の根まで刈り取ってしまわないことを願うばかりだ。

2012.12.04
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77.サボリ決定

「俺、優等生やめるわ」
眼鏡をかけて、髪は真っ黒で、長さも校則通り、制服のボタンも一番上まで止めている、正に優等生の鑑みたいな奴は言った。
眼鏡を投げ捨てて、髪をかき回し、制服のボタンを引きちぎらんばかりに外していく。
唖然としながら変貌していくクラス一の秀才を眺めていた俺らに、元優等生はにっこりと微笑んだ。
「じゃ、俺、サボってくる」
手を上げて、始業二分前に教室を去っていく。思わず席を立って、気づいたら後を追いかけていた。
人の引っ込んだ廊下に浮かぶ背中に向かって走り出す。
綺麗に掃除された床に滑る足。廊下を走るなという規則の意味を漸く知った。
悠々と前を歩く背中に手を伸ばす。
「待てよ!」
肩を掴み、無理やりに振り向かせると、彼は驚いたように目を瞬かせた。
時計の針はもう既に、授業が始まっている時間を差している。
「授業、いいの?」
間抜けた指摘にため息がこぼれた。それはこっちの台詞だ。
「本気? 先生に期待されてたんだろ」
意志の強い瞳に嫌悪感と倦怠感が浮かび上がるが、それはすぐに息を潜める。
再び背を向けて歩き出した腕を掴むと、振り払われた。
何が気にくわないんだろう、今までに申し分ないほどの評価を受けながら、それを投げ出して、何がしたいのだろう。
ただそれを知りたくて、しつこく後を追いかけた。
階段を上り、屋上の入り口まで辿り着いた元優等生は、どこからか鍵を取り出し、施錠された扉を開いた。
ぶわりと外の風が吹き込み、冬の枯れ葉が舞い込んでくる。
外に飛び出し、大きく息を吸い込んで、そして吐く。
体中の全てを取り替えるような動作に、ふと羨望が湧き上がった。
「俺は、外を知っちゃったんだ」
元優等生は寂しそうに声を漏らした。
「今は、学力さえあれば、生きていくには十分だ。
 でも逆に言えば、どれだけ独創的でも、どれだけ慈善的でも、
 学力がなかったら生きていけない。そんなの不条理だと思わない? 歪みきってる」
吐き捨てるように悪態をつく彼は、優等生というレッテルが、なにか罪悪のように感じてならなかったという。
応えるように風が鳴き、その裏で淡々と授業をうたう教師の声が聞こえた。
「しょうもない足掻きだってわかってるさ。でも試したいんだ」
「サボって?」
「まあそんなとこかな」
苦笑混じりの声。
鳥が空を旋回し、俺は久しい空をゆっくりと見上げた。
「おんなじような日々を変えてみたいんだ」
鳥に憧れる年でもないが、俺もまた広い世界には憧れていた。
手すりに手を掛け、その上にのぼる。
少し慌てた様子の優等生を振り切って、風をうけて大きく深呼吸した。
「俺も、乗った」
「はぁ? いいの?」
「いいの、今日はもうサボり体験な」
なんだそれ、と元優等生が笑う。
空が青い。のぼせ上がった頭には、凍えるような冷たい風がちょうどよかった。

2012.12.06
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78.屋上

熱風が吹き荒れる屋上。髪が排気ガスに塗れて汚れていく。
空は星ひとつ見えない曇天なのに、地面には一面にぶちまけたような光が散乱していた。
「天変地異で星が地面に落っこちてしまった」
そんな錯覚を覚えるのは、頭が熱に浮かされて、どうにかなってしまったからだろうか。
ただでさえ湿気の酷い夜にえっちらおっちら階段をのぼってきたのだから、きっとそうなのだろう。
おかしくなってしまったのは、僕だけではない。
ほら、左隣のビルでは、一人の会社員が飛び降り自殺を図って同僚に引き止められているし、右隣のビルでは二人の会社員がいい歳して鬼ごっこに勤しんでいる。
生温い風、靡いた髪が頬にへばりついた。
むせ返るような熱気の中で、現実逃避を試みた結果。
だから、みんな、こんなにも突飛な行動をしてしまうんだ。
煙と馬鹿は上に昇っていく。
上へ、上へ、それはもうどこまでも! どこまでも! 天国までも突き抜けて!

――後ろの扉が開いた。
「やあ、遅かったね」
「このバカ」
夜遅く、こんな廃ビルに呼び出された友人は、不機嫌そうにはき捨てた。
そんなに嫌だったのなら、綺麗さっぱり無視してしまえばいいのに。
なんだかんだと、根の部分で友人は義理堅く、律儀だった。
僕はそれを分かっていて、彼に無理を言った。
メガロポリスの中、汚い空気を吸い込んで笑いかける。
「聞いて欲しいことがあるんだ」
彼はこちらをみた。
光の海底で、街は輝いている。
「死ぬなと言うのはどうしてかは分からないけど、

2012.06.12
32の手前
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79.ソックス

白い息がからっぽの空に溶けていく。
肺に流れ込んだ刺すような空気は、身体の温もりを芯から奪い取るようだった。
学校鞄を肩にかけて、赤くなった指先をすり合わる。
息をはきかけると、結露したそれは手を湿らせた。
じんわりと広がる温もりは、すぐに湿気への嫌悪感に変わってしまう。
冷えた胸の中が追い討ちをかけて主張する。く、と息を止めて、それが温まるのを待ってやった。
むき出しになった膝小僧は哀れなくらいかさついて、毎夜の手入れを嘲笑われている気持ちになる。
規則だからと、素足むき出しで冬を過ごせというのは、些か嫌がらせが過ぎないだろうか。
憂鬱は白く大きな形になって飛び出していく。
寒さだってこれくらい簡単に吐き出せてしまえばいいのに。
内股になって膝をすり合わせても、互いが互いを嫌がって顔を背け出す始末。
細い刃が膝を掠めていく。切れてしまいそうな膝を慈しむように撫でて、勇み足で長い道を歩き出す。

せめて、学校にたどり着きさえすれば、風は凌げる。

たん、と、足が地面を叩いたとき、なけなしの温もりである白ソックスが、盛大にずれ落ちた。
冬が性急に足を這い上がってくる。
「いい加減にしろよこの変態!」
そう叫びたくなった。

2012.12.07
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80.イノセンス

「あらあら、どうしたもんかね」
荒野に広がる惨状に、片刃の剣を肩に抱えた影が嘆息する。
辺りにぶちまけられた深紅、散りばめられた残骸。
元・同業者だったそれは、物言わぬ肉塊と化していた。
草の根さえ残っていない更地は、つい数分前までは平和なひとつの町だった。
とても平凡で――そこに"あれ"がいなければ――平和な。
男は腰に引っ掛けた懐中時計を覗き見、億劫そうに剣を取る。
「救援要請から三分。割と頑張って来たんだけど……仕方ないな」
わずかに漂う残滓を追い、足を進めた。
しかほども進まないうちに、ひとりの少女が大声を上げて、泣きながら荒野を歩いてるのが見えた。
足元には血の足跡が色濃くつけられて、纏う白いワンピースは赤黒い花をさかせている。
それだけ見れば、少女が命からがら逃げ出しさまよっている光景。
だが男は知っていた。他ならないあの少女が、男の同業者を殺し、町を壊滅させ、草の根さえも焼き尽くしたことを。
少女は破壊するものを探して歩む。
とめどない力は、少女の自我を破壊し、もはや少女はただのばけものに成り果てていた。
「女の子を手に掛けるのは、シュミじゃないけど」
つがいの剣を引き抜き、構える。
「もうあれは女の子じゃないから」
男は言い聞かせるように呟き、そして地を蹴った。
気配に感づいたばけものが振り向く前に、小さな身体を押し倒す。
四肢を踏まれ、腹に膝を落とされて、ばけものは絶叫した。
暴れ、上体を起こそうと身を捩る。
ぼっ、とばけものの口腔に炎が満ち、奇声と共に吐き出された。
男は細い首を挟み込むように、中央で交差し、突き立てる。
再び地面に貼り付けられたばけものが鳴き、吐き出された炎は、空に弾け火の雨を散らした。
四肢も首も、全てを抑えつけられたばけものは、まるで処刑を待つ罪人のようだ。
「大丈夫、全部ブチまけていい」
剣を握る手に力が籠もり、徐々に刃が摺り合わされていく。
柔らかい肌からつ、と赤が流れ、痙攣するように跳ねた"ばけもの"が、まっすぐに男を見据えた。
「いたいよ……」
"少女"の眼から涙が溢れる。男は少女に微笑みかけ、それを拭った。
「大丈夫だよ、俺が楽にしてやるから」
「ほんとに……?」
「ほんと」
大きく頷いて、男は再び剣の柄に手をかける。
少女は涙に濡れた顔をくしゃりと歪ませて、嬉しそうに微笑んだ。
「……よかったぁ」

荒野に刃のかちあう音がひとつ、小さく空気をふるわせた。

2012.11.22
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