快適な一人暮らしを初めてはや一年が経とうとしている。
数ヶ月前までは松葉杖にギプスと満身創痍な姿をしていたのに、今はもう跳んだり走ったりし放題だ。
身体の動くこととはかくも恵まれたことだったのだと改めて思い知る。
そして心臓の動くことも。
浮き足たってキッチンでおやつを手に取る。これでさえ以前は侭ならなかった。
袋を開けて、一つ口に含むと適度な塩味とじゃがいもの味が広がって頬が緩む。
生きていなければこの美味しさは味わえない。今生きてる私は幸せだ。
隣の和室には四つの遺影の飾られた仏壇があり、私はその写真に微笑みかける。
もう居ない、お父さん、お母さん、お姉ちゃん。
私は三人よりずっとずっと幸せな時間を手に入れた。
車数台を巻き込む玉突き事故。生死の境を彷徨ってはや一年が経とうとしている。
傷ついた自分の身体の療養と、あらゆる対応と、あらゆる後始末で時間は走るように過ぎ去った。
最近はようやく落ち着いて、雑誌の取材も減ってきた。
私生活に関与する存在がなくなれば、ようやく私は自由になるのだ。
幸せとお菓子を噛み締める。
「忘れるな」
唐突に、耳元で誰かが囁いた。
「お前だけずるい」
「許さない」
「幸せになるなんて」
三人分の声、お父さんとお母さんとお姉ちゃんの声。
「うるさいなあ、折角の一人暮らしを邪魔しないで」
心の中で反論しようが、三人は聞く耳持たずだ。
ぎゃんぎゃんと喧しく恨み言を騒ぎ立てている。
先ほどまで美味しかった塩味が途端に邪魔臭くなった。袋の口を輪ゴムで閉じる。
乱暴に仏壇の方へお菓子をに放り投げて、床に寝転がった。
自由な一人の時間は、たちまち三人に見張られる退屈な時間だ。
「私のラッキーくらい喜んでくれてもいいじゃない」
独り言は誰にも聞こえない。
今横でひたすらに恨み言を言う家族が幻覚なのか現実なのか、そういうことはわからないけど。
私は過去のことは過去のこととして、今の生活を楽しみたいだけなのだ。
「忘れるな」「忘れるな」
「お前の所為だ」「お前が」
「お父さんの目を」「塞いだ」
「ことを」「おまえのせいだ」
「許さない」「殺した」
「殺した」「許さない」
「あぁ、あもう煩いッ!」
それが事実だろうがなんだろうが、私は今一人だけ生き残って、私は今幸せになりたいのだ。
他人に口出しされる筋合いは無い。
平和なシングルライフを取り戻すために、神社にお祓いでも行こうかと考えた。
考えただけで、やめた。もし変なことを吹き込まれたらたまらない。
2012.03.21
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「『死ぬなと言うのはどうしてかは分からないけど、
兎にも角にも僕にとっては些細なことなの。
幾ら怯えてみたところで、幾ら警戒してみたところで
車は突っ込んでくるし、頭の湧いた通り魔はいるし、
金に飢えた人間に刺されるし、腹いせに殴殺されるし、
何かの不備で物が落ちてくるし、何かの不備で物が倒れてくる。
その上日常的にどこかで誰かに恨まれるし、どこかで誰かを裏切ってる。
積み重ねた罪にならないほど些細な罪が、些細な結果を招くだけ。
心臓が止まるだけ、考えられなくなるだけ、動かなくなるだけ、何も感じなくなるだけ。
何も怖いことなんてない。
寧ろ何かを感じて、何かを悩んで何かを考えて心臓を動かすために奔走することのどこが怖くないの。
忙しすぎて怖くて怖くてたまらない。
楽しいことのなにが幸せなんだろう?
そのあとの虚しさなんてそれ以上なのに。
嬉しいことのなにが幸せなんだろう?
それがひっくり返ったときの悲しさは耐え難いのに。
幸せなことのなにが幸せなんだろう?
幸せってそもそも誰かを足蹴にしてるのに。
ほんとのほんとに頭が平和ね。
羨ましいくらいに、平和すぎて反吐が出ちゃう。
その上に核兵器なんてぶち落としてみたところで、頭が沸騰してぐちゃぐちゃになって
余計に飲めや歌えやのハッピーハッピー、ってお話。
まぁなんだかんだとは言ったけど、君といるのは楽しかったかな。
だから楽しいうちに楽しいままで終ろうと思って、ただのそれだけ。それじゃ』
つって屋上から飛び降りたバカがいたんだ。
そいつは内臓も骨も脳も全部ぐちゃぐちゃのミンチみたいになって死んだ。
あいつは何も感じなかったかもしれないけど、
グロ画像見せられて挙句一緒にいたからと警察に連行された俺の身にもなってみろよ。
あいつの幸せのために俺が足蹴にされたんだなーってしみじみと思ったよ。
あはれなり、なんつって、まぁ分かったのはそれだけで、
俺はバカだったからあいつのいってることの一寸も共感できなかったけど、
とりあえず生きとかなきゃ分かるもんも分からないわなーって今まで生きてきた。
はぁ、でな、なんでこんなことを話すのかって?
うん、あいつの話はいろんな方面の人から糾弾喰らって危険思想だとぶっ潰されてもおかしくないくらい排他的な考え方だったけど、
今までいろんなもの見た俺にしたらカードの裏みたいなもんだなぁって思ったんだ。
トランプの裏の柄を誰が見る?
いつだって見てるのは、スペードやらクローバーやら、ハートやらダイヤやらのある表だろ。
誰も見ないような裏ばっかり見てて、表を見てなかったんだろうなーって俺は思うわけ。
質問の答えになってない? 気にするなよ。まだ生きてるんだから。
俺はお前といて楽しいと思うし、幸せなんだろうなーって思う。
けどどっちかが死ぬと一人ぼっちになるだろ? だから俺は死ぬのが怖いしいやだ。
誰かを足蹴にしようが関係ない、幸せになれるならバカにもクソにもなってやるよ。
奔走することだって怖くない。
でも唯一つ怖いのは、お前を失うことなんだよ、
で、あいつの話と俺の経験則から結論を出すと」
私は殺された。
2012.03.21
失う前に無かったことにしよう
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思いもしない世辞を並べ立てる。全ては大切な家族のために。
先の戦であげた功績によって、私の傭兵団はあらゆる国から引っ張りだこになった。
負け戦を勝利に導く女神。そう噂されていることを、私は知っている。
しかし、あれは――あれは功績ではなかった。
多くを失った。私達はその生き残りでしかない。
今背後で待機しているシャーンは、特に全てをなげうって私を守ろうとした。
窮地に身体を貫かれ、生死を彷徨ったこともあった。
私は守られてばかりだった。
事実、先の勝利だって私の指揮があってこそではないのだ。
妖しい目の女性が助太刀をし、黒の騎士が守ってくれなければ負けていた。
圧倒的な戦力の差は絶望的だった。
それなのに、何も知らない愚者が私を女神だと讃える。
賞賛を聞くたび、どうしようもなく心が焼けた。私ではないのに。
「隊長、お時間です」
冷静なシャーンの声が、思考から現実に呼び戻す。
目の前の公子はシャーンを睨みつけ、私に微笑みかける。
「それでは、私はそろそろ失礼します」
「ああ、それじゃあ、また頼むね。次は明日の早朝に」
「はい」
また明日もこうやってお話をしましょう、そういいたいのだろう。
日夜駆け回る私の体力は、もう雑談などしている余裕はないのに。
任務があるのに、私は世辞に努めるしかできない。
慇懃無礼にお辞儀をして部屋を出る。シャーンは無言で後をついてきた。
吐き気のする空気から抜け出して、緑に覆われた道を歩く。
「細い」
後ろから聞こえたシャーンの低い声は、酷く私を素直にさせた。
糸のように張っていた緊張が緩んで、息が漏れる。
愛しい声、
「私は今腹が立っています」
「えっどうして?」
困惑を含んだその声も、全てが水のように枯渇した身体に染み込んで来る。
涙が零れないように頬を膨らませて、シャーンを睨みつける。
「あなたが、貴方のことを私の部下のように言うから」
「……ごめん」
「あなたが、まだ私を隊長なんていうから」
眉を下げ、視線が逸らされる。
シャーンは最近、一度も私を名前で呼んでくれなくなった。
確か、そう名声が広がってから。
私がこの名声の憎いのは、シャーンがその声で名を呼んでくれないこともある。
「私達は家族で、友人です。だから私は隊長じゃありません」
呼ばれたいのは、一重に恋慕ゆえ。
ずっと、ずっと一緒だったこの剣士だけ。
「分かってるよ」
気のない返事は、私の心を綯い交ぜにする。業と避けているのだ。
恋人なんて望まないから、せめて、せめて友人に戻れたらと思うのに。
また、昔のように「ラーシャ」と呼ばれたいと思うのに。
それさえも傲慢だと言うのですか?
2012.03.20
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アァはン!? 俺には中身がないだとかほざいたクソ野郎は目の前でニヤニヤ笑いました。言葉を濁しながら、ふってぇ眉毛をハの字にぶっとい唇をノの字にちっこい目を数学記号の弧の字に鷲鼻を擦りながら言いました。いくら躊躇ったトコで言っちまえばそこまでだってンのに「躊躇った」ことが免罪符になったみてェに満足そーな顔してンヨ、ます。俺はその不細工ヅラに嫌気が差して殺意が湧いて思わずそのデカい鼻にグゥでパンチしちまった、だ、です。そいつはみるみるうちに目に水乗っけて俺を罵倒する。あんまり髪を振り乱して言うもんだから目から滴が頬にかけてツゥゥと伝うわけ。したらギトギトの脂が水を弾いて泣いてンだか汗まみれなンだか分かりゃしねぇの。それがまたブッ細工でウンコみてぇな形相だからつい眉をしかめちまう。ソイツは人を射殺せそうな目で俺を睨みつける。おっかねぇから目を覆ったら脂塗れの手でビンタをされた。ビリビリ破れるみてぇな痛みがして頬だけ体温があがったようだった。そいつは俺に叫んだ枯れた声で叫んだアンタの物語は薄っぺらいのヨなにが伝えたいのかもわからないし心情もなにもわからない駄作なのよって俺は言い返した俺はテメェの御眼鏡にかなうために書いてんじゃねェーんだ俺はただ楽しくて楽しくてふっとんじまうくらい嬉しくてたまんねェから大好きな大好きな愛してるこのうえなくあいしてるこの言葉で遊んでるだけなんだよ所謂デェトってやつを俺は言葉とやってるだけなのつまりそこに中身なんてねェの一緒にいられるなら幸せなのだからその幸せを邪魔する不埒なクズには全力で全憎悪を以って排除させていただきますゥオッケー? オッケーだったら早く去ねそして死ね! あァもうこんな糞便みてェーな奴に貴重な時間を割いちまったごめんなごめんな愛してるよくだらないことに愛しい文字をつかっちまったもうこんなクズみたいな駄作にはノォタイトルがお似合いだわなぁ! はい仕舞い!
2012.03.30
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ぽかぽか春の陽気が否応なく眠気を誘う。襲い来る睡魔と、真っ白なキャンバスと格闘していた俺は、筆を取り落とす程の衝撃を受けた。
「今から自殺する」
パレットナイフを首筋に当てて笑うのは、数少ない他学科の友人だ。
「常日頃から頭の湧いたやつだとは思ってたけどな、仕事道具を汚すなよ」
吹き飛んだ微睡みに後ろ髪を引かれるが、大事な道具を曰く付きにされたらたまらない。
腰をあげて、その凶器を取り上げる。
「止めはしないの」
不服なのか、満足なのかつなかい調子で、自殺志願者は笑う。
厄介なことに、この志願者は止めても促しても機嫌を悪くするらしい。
「俺はね、なんで自殺が駄目なのか、わからないの」
無視して席に戻る。期限は近い、俺にはこんなキチガイとだべっている余裕はないのだ。
「俺は無宗教だから、神様だって踏みにじれるし、親にだって生んで欲しいとか頼んだ覚えもない。ついでに犯罪を起こすことだってためらいはない。ねぇなんでかな」
その一、神様に頂いた体だから。その二、親に生んでもらった命だから。その三、自殺は自分を殺すという殺人罪だから。
自殺を否定する三大理由をあっさりと蹴飛ばして、そいつは語った。
面倒くさい。友人の時折見せるこの歪みがひどく苦手だった。
俺はあくまで一般的で世俗にまみれた人間だ。
ちゃんとそれを自覚していたし、不満に思うこともなかった。
筆を走らせる。闇をぶちまけるように、画面を黒く塗りつぶした。
「でも俺って自殺したい訳じゃないんだよなぁ」
シアンを描く、
「ただはやくしにたいだけで」
赤をねじ込む、
「だから、殺されたくないなぁ、」
黒で赤を消す、
「今ぱたっと死なないかな、あ、でもまだ歌えてない曲あるからやだなぁ」
マゼンタ、マゼンタ、マゼンタ!
「やっぱり死ぬのはやめにしよう」
鼻歌混じりに、志願者は志願をやめた。そうして誰のか知らないパレットナイフを腕に押し当てた。
無理矢理に引き裂いた音と、押し殺した声。
ぱたぱた人体の赤が漏れ出して、白い床を彩る。
俺は、つい、そちらに気を取られて、友人を見つめた。
無表情、先ほどまでの全てが演技だったと勘ぐるほどの。
生命を認められるのは、その赤だけだ。手を掴む。微かに驚いた目が俺をみた。
「その色くれよ」
「どうぞ」
赤でびしょぬれの青白い肌を新しい筆で拭う。きっとこれだけじゃ足りないから、俺はキャンバスを床にしいて、友人に腕を押し付けさせた。
幾多の線が、赤に混じる。彼の過去に切った痕が、生々しく型になった。
息が切れる、俺は興奮していたらしかった。
「あのさ、」
友人は、俺をキチガイでも見るような目で見つめる。
「酸化」
「あ」
俺は悔しさとともにキャンバスを叩き割った。
2012.06.05
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