真っ白の紙の中に一つインクが垂らされた。皆は全てが彩り豊かだ。
過去のインクが、「今」の紙を濡らす。無意識の芸術。
人は存在そのものが唯一の傑作であるのだ。神はその創り手で主である。
完成された作品は速やかにアトリエを離れ額縁へと解脱する。
神の手によって、全ては完成するのだ。しかし、彼は違った。
白で彩られるわけでもなく、ただ紙面を露呈させたまま。
色がないのを自覚してより、虚無の黒はじわりと紙を染めた。
一点、
不完全なそれは彼の渇きを潤すことがない。
あぁ、あぁ! 何故神は私にこのような苦行を与えられたのですか。
彼は叫ぶ。彼は敬虔な信者であった。
信者であるから、彼は空白に寧ろ無色を求めた。神による「無い色」を求めた。
神の御業により見えない色は確かに自身を染めている。
偶像に見るイメェジを透視するように、彼はその望みを信じた。神を、また。
神の与えたもうた試練は、すなわち恵みである。神の与えた「無」もまた恵みである。
しかしながら、彼は嘆くことをやめなかった。神の与えた「嘆き」を享受し、その道を歩む。
割れた彼の過去は元に戻りはしないが、彼は諦めることを拒んだ。それは神の御心に反すると考えた。
結果、彼の切っ先が誰を掠めようと構わない。彼は誰よりも敬虔な信者だった。

365没ネタ。
2012.04.07

 

夜を歩く。足早に、風に背を押されて前へ進む。
閑静な住宅街、あと数分もしないうちに、まどかの家は見えてくる。
彼の心の中には、姉からの電話の内容ばかりが渦巻いていた。
こなみが何者かに襲われ、怪我をした挙句、声が出なくなった。
焦る声が告げたのは、まどかにとっては絶望に近い――、
滑る手で鍵を取り出す。鍵穴にさすまえに、玄関扉が開いた。
「こなくん!」
身体のいたるところに包帯を巻いたこなみがまどかを出迎え、悲しそうに笑う。
その口からは、一切の音が発されない。
ごっそりと心が抉られた。言葉にならない言葉で、彼にすがりつく。
「ほん、とに、声、でないの?」
頷きもしないで、彼は自らの首に刃を当てた。

「――ッ!!」
顔を上げれば、無人の教室が広がっていた。カラカラと回る扇風機の音がやけに耳につく。
「あ、――ゆ、め?」
頬に流れていた涙を拭って、椅子から立ち上がる。
居残って楽譜を見直しているうちに、眠っていたようだった。
午後六時だった。六月下旬の空は明るい。

午後十一時、夜も更けた頃に、一本の電話が入った。姉のあきらが受話器を取る。
優しい姉の声が強張った。頷いて、受話器を置いた後、まどかを振り返った。
「どうしたの?」
嫌な予感がした。ざわめく心を押さえつけて、大丈夫だと囁く。
この感覚は、前にも――
「こなみくんが、」

何者かに切りつけられたらしかった。

2012.07.01

 

呼びかけに彼女は答えなかった。
はじめのときからずっと、今のいままで、俺の声に反応してくれたことなんてなかった。
それはしようのないことで、俺が俺であるからで、転生でもしない限り変わらないことだ。
でも転生した俺のことを、彼女は縛ったりしないんだろう。
それはあたりまえのことで、俺が俺でないからで、何度転生しようとも変わらないことだ。
彼女は、姉は、俺のことを後手に括って、固く外せないようにして、甘く囁く。
おしおきよ、って。
俺が、他の女の子と話したときに行われる折檻は、もはや日常茶飯事になっている。
だって、高校生だ。言い訳がましいだろうが、高校生なんだから。
公立の共学校にいってしまったんだから、避けることなんかできないんだ。
手首が擦り切れて、もはやリストバンド無しでは生きていけない。
プールにだって入れないし、海にも行けない。
ここまで俺の人生を縛っているのは、血を分けた、ただひとりの姉だ。
それなのに、姉はただひとりの弟に縛られることなく、寧ろ鳥のように羽ばたいている。
悔しくてしかたない。いつか引き摺り下ろして、檻の中に閉じ込めてしまいたい。
あるいは、縊り殺して、今度は俺が彼女を支配するんだ。
あ、姉さん、僕はもうこういうこと、一切考えたりしないから、お願いだから紐を解いてくれないかな。
う、いた、いたい。
口答えしないから、お願いだから緩めて、弛ませて、姉さん、姉さん姉さんねえさんねーさん、恍惚そうに微笑んでないで、俺の身体の血流くらいには嫉妬しないで。
何度呼んでもあなたはこっちを見向きすらしてくれない。
何を空想してるの? 何を恨んでるの? 何に悦んでるの? 答えて姉さん、答えて。

2012.08.22

 

どれほど僕が君に恋い焦がれたかって、君は知らないだろう?

三年前の六月二十三日午後十一時三十七分四十二秒三三に僕は君を見つけた。
夜闇に追われ、偏愛に追われ、嫌悪と恐怖とに彩られた蒼白い肌が、僕の目にどれほの衝撃を与えただろう。
腕に刻まれた肉色の痕と、そこに引かれた真新しい赤色。
穢らしい腕が君の白い腕を掴み、君の身体を蹂躙する。
その背徳感といったら!
細い首に突きつけられた刃の切っ先を、間一髪でかわした君は、その腕を犠牲にして声を守った。
縺れて転び、ついに地面に押さえつけられた君の口の端がみちみちと切り開かれていく。
あ あぁあああ ぁああぁぁあ!
爆発したような悲痛な音が、閑散とした住宅街に響き渡った。
きみの口が裂けて、端から赤が伝う。甘かろうその赤を、下賤の輩は舐め上げた。
奔る興奮、高鳴る鼓動に僕は必死で哄笑を殺したさ。
その背徳感といったら!
君を一心不乱に書き留める。わすれないように忘れないように。
指の先が紙で切れても、僕は網膜と紙にその姿を焼き付けた。

2012.08.04?

 

赤い筆を滑らせて、彼は最後の仕上げをする。
粘性の絵の具が毛先をまとめ、鋭利にも見える「きっさき」を紙へと押しつけた。
べと、と汚される象牙色。念入りに陰影をつけ、丸みを錯覚させるその輪郭に沿って赤を引く。
まるで伝うように、まるで滴るように。
いつか目の前で引き裂かれた皮膚を、頭の中に余すところなく鮮明に描き出す。
そしてその虚像を、目の前のキャンバスにアウトプットするのだ。
一番最後の一筆で、「彼」の立つ地面にぼとりと色を落とす。
鮮やかな赤ではなくて、黒ずんだ深い赤を飛び散らせた。
いつか目の前で引き裂かれた傷口より生々しく、頭の中の虚像を飾り付けていく。
完成した理想の「彼」は、記憶の「彼」と混ざり合って、事実を塗り替え更なる魅力を発した。
「でーきた」
こぼれた吐息に乗せた言葉は、これ以上ない恍惚をはらんで溶けていく。
指先で口元を拭えば、赤い絵の具が唇を汚した。
いつか、この絵の具が本物になるかもしれない。
意識の奥で、理性が抑えつけていた衝動が漏れ出して、背筋にぞくりと震えがはしった。

2013.02.10

 

「やめて、おねがい、やめて!」
女の声は虚しく、真深く帽子を被った男が彼女の子を乱雑に持ち上げた。
ほの暗い倉庫の中、白い両手で足をつかんで、必死に男を引き留める。
男の手に握られたほんのりと暖かいそれは、今はもう脈打つことはない。
余りに長い間親から離され、息さえ、鼓動さえ失ってしまった。
男は子供をカゴの中へしまいこんで、女へ向き直る。
ビクリと肩をふるわせ、女は弾かれたようにその身を引きはがした。
「いや、いや……私の子を返して……」
おびえきった声に男は口の端を歪めて、後ろ手で握っていたナイフを取り出した。
ひゅ、と息を飲む音。誰も彼女を助けるものはいない。
突如迫り来る生命の危機に、女は後ずさり懇願する。
やめて、やめてという悲痛な声は黙殺され、男はとうとう壁際まで女を追いつめた。
「安心しな、じきに子供も一緒にしてやるからよ」
「いや、やめて! この人でなし!」
男の太い手が女の首を掴む。身をよじって抵抗する女は、甲高い悲鳴をあげた。
男はうれしそうに、しかし名残惜しそうに笑んでその刃を振り下ろした。

その夜、男の食卓にはそれはそれは美味しそうな親子丼があったのだった。

2013/02/16
親子丼食べながら考えてた。

 

燃えるような橙があらゆるものを染め上げる。
白い雲も灰色のコンクリートも、真っ青なバッグでさえ例外ではない。
今に眠りにつこうとする太陽は、最後の明かりを惜しみなくばらまいていた。
一日の授業と部活を済ませて疲れ切った身体。
足早に帰路を行く少年は、急勾配な坂の中腹に襤褸を纏った女性を見つけた。
このあたりでは見かけたことがない、いかにも浮浪者な容貌は、どこか人間味を欠いていた。
足を緩めることなく進みながら、少年は女性を見つめる。
襤褸から覗く白いセーラー服は、随分と丁寧に手入れされているようだった。
何かのコスプレだろうか? そう思い至ったとき、少年に背を向けていた浮浪者がこちらを振り向いた。
好奇の目で見ていると思われたくない。反射的に目を逸らし、無意味に背後をみやる。
そうしているうちにも徐々に二人の距離は縮まり、両手を伸ばせば届くほどになった。
すれ違えば女性はただの背景に成りはてて、少年の記憶から掻き消える。
視線を背けたまま、女性の真横を通ったとき、
「ねえ、」
汚れきった毛布の隙間から細い腕が飛び出して、少年の手を掴んだ。
のけぞるようにしてバランスを崩し、女性の姿をとらえる。
吸い込まれそうな緑の目と、血の気の失せた唇が、まっすぐに少年を見つめていた。
「こんな時間に、外にいちゃだめ」
唐突な言葉に、少年は瞬きをした。日が暮れかけているとはいえ、今はまだ精々六時前といったところだ。
自分よりもむしろ、目の前の女性のほうが危ないだろう。
言葉を失っている少年に、女性は続けた。風にばさりと襤褸が舞う。
端々に焦げ目のついたそれがいやに目に付いた。
「誰のために日が暮れるのか考えたことある? それはね、火を報せるため、人間のため。
 赤色が夜空に映えるように、すぐわかるように、真っ暗になるの。
 でも人間は暗闇を殺したから、いつか太陽は拗ねてその身をまき散らすでしょうね。
 たくさんの火とともに」
気が狂っているのかと思った。
しかし少年は言動よりもむしろ、徐々に熱を持ち出す彼女との接点に恐怖を抱いた。
体温と体温が重なったからではない。もちろん、女性に触れられただけで興奮するような馬鹿でもない。
六十度のお湯を延々とかけつづけられているような痛みが、彼の手のひらを苛んだ。
訥々と流れ込んでくる女の声が、右から左へと過ぎ去っていく。
眉をしかめた少年の手を離して、女性は"火をあげはじめた"少年の鞄を払った。
火種なんてないはずなのに、引火し焦げた鞄を見下ろす。少年は女性を見返して、一歩後ずさった。
「あんたは、なんなんだよ」
絞り出した声は情けなく震えていた。
女性は少年を目線で捕らえたままそれ以上近づこうとしない。
少年には、女性の襤褸がちらりと燃え始めたように見えた。
「夕暮れは火が一番みえなくなる。だからだめ、あなたは火に好かれてる」
「質問に答えろよ、あんたは……人間なのか?」
「わたしは、わたしは、カミサマだよ」

少年が気づいたとき、太陽は最後の光をかきけすところだった。
目の前には灰色の地面が広がって、今までどこに視線をやっていたのか分からなくなる。
白昼夢をみていた。少年は鞄を担ぎなおして、再び道を進んでいく。
やけに手のひらが痛かった。まるで、焦がしたように。

2013/03/09

 

 授業を終えて浮き足たった生徒たちで賑わう学生バスに揺られ、私はぼんやりと窓の外を眺めていた。
その背後でひときわ高い声があがる。
女性らしい、つんと尖った声に顔を向ければ、斜め後ろに座っていた女が、隣の黒髪の男に手のひらをあわせていた。
「ごめん、五時半からバイト入ってさ。また今度にしよ」
男は女の言葉に眉を垂れさせ、小さくため息をつく。
女を責めるわけでもなく、男は仕方がないなと笑って見せた。
「そういってくれると思ってた、好きだよ」
女と男は抱き合ったが、それをみていたのはどうやら私だけのようだった。
そのあとの会話をなんとなしに聞き流しながら、携帯電話を開く。
時刻は四時四十四分だった。
 電車がホームに滑り込んで、ゆっくりと停車する。
人が捌けるのをまってから、私は電車から下りた。
左手で改札に定期券を通し、人混みにぶつかないように視線を前にむける。
そのとき、ふと目の前を横切ったのは、先ほどバスで見た女だった。
彼女の隣には茶髪の男が連れだって歩いている。
腕を組んでいる二人の男女は、いかにも仲睦まじい恋人のようだった。
ああ、と私は喫茶店に入っていく二人の背中を眺めていた。
携帯電話の時計は五時二十五分を表示していた。

2013/04/19
2013/04/22
課題「バスと駅で同じ人を出す」

 

蛍光灯が宙ぶらりんで浮いている。
そのちょうど数メートル下で、
女の子が山に乗っかっていた。
とがったてっぺんに両足をのせて、
じっとこちらを眺めている。
あ、うしろの男の子が
空にのぼって消えていった。
でもすぐあわてたようすで
天国から忘れものをとりにくる。

2013/04/23
窓をテーマに詩作。タイトルは「そらのうえ」

 

携帯電話のディスプレイをコウコウと光らせたまま、
部屋のライトをカッカと照らしたまま、
参考書も用意しないでうつらうつら船をこいでました。
さっきまで飲んでいたサイダーが「あかんで」とばかりに投身自殺しまして。
お陰様でゆったりと また
携帯電話のディスプレイをコウコウと光らせたまま、
部屋のライトをカッカと照らしたまま、
オーディオも消さないでふらふらおちかけています。
さっき落ちたサイダーは、
今はもう机のど真ん中でじっと黙っています。
まぁ死んだのだから仕方ない。

睡眠

2013/04/29

 

2013.05.02まとめ修正