三里、千里、三千里と道を行く。
あても金もなく、ただ孤独に枯れ葉を踏みしめた。
山道を歩くたびに獣たちの獰猛な唸り声が聞こえてきて、いつ襲われるか知れたものではない。
彼には、なにもないのだ。
あるのは着の身着のままの己の肉体と、その肉体に内蔵された意識のみ。
しかし彼はそれで満足であった。
月を見上げ、それいがいはなにも無い空に、思考を浮かべる。
そこにはなにでもあって、しかしなにもなかった。
彼はときどきさみしくなる。
ああ、わたしはわたしいがい何も持ち合わせてはいないのか。
仲睦まじい恋仲の男女、もしくはその家族。
ちらりと山家を除き見る度に寂しさはこそりと心のはにかたちつくられる。
あるとき、彼は幽女に出遭った。
ちょうどそのとき、彼はさみしくて、さみしくて、彼女に実体が無かったとしても、やさしくかたりかける彼女がほしくなった。
きみ、きみはわたしのものになってくれるか。
問うた彼に、彼女はふわりと笑んで、おおせのとおりにと頷いた。
それからというもの、幽女はいつでも彼に微笑みかけ、彼もそんな幽女に笑みを返した。
彼にとって幽女との旅はとてもみたされたものであったのだ。
そしていつのまにか、彼は幽女に恋をしていた。
ところで、人間にはよくがある。
彼は生者であり、聖者ではなかった。
彼は、彼女が死者であることに我慢ならなくなったのだ。
彼はある夜、近くの民家へ忍び込んだ。
咎める幽女を振り払って、彼は民家の老夫婦の所持するくわを盗み出す。
そして庭へ出て、鍬を幽女に向かって振り上げた。
びゅう、どすり。
刃は幽女の身体を通り抜け、彼の身体を突き刺していた。
まるで二人ともに心中をするように。
彼の鼓動がとまる。
幽女は蹲って、彼の遺体を抱き、夜通し零れぬ涙を零した。
朝日が差し、幽女が彼の死体の横に寄り添い、消え行こうとしたころ、幽女をひきとめるこえがあった。
「いってしまうのか。もしかすると、わたしにあいそをつかしたのか。いかないでくれ、わたしはきみがいれば何もいらないのだ」
振り返ると、そこには幽男がさみしそうに佇んでいる。
縋るように、しかしはじめて出遭うたときのように、幽男は幽女に懇願した。
「きみ、きみはわたしのものになってくれるか」
対する幽女は、ふわりと笑んで、おおせのとおりにと頷いた。
かれらはいまも、旅をつづけている。
2010.10.23