無機質なコールが鳴る。
上鳴こなみは携帯電話を耳に当てて、「もしもし」と警戒した声を出した。
発信者は非通知、本来であれば無視するレベルだが、今日のこなみは暇だった。
それはもう、茹だるくらいに暇だった。
相手は電話線の向こうで沈黙している。なにか物音と息遣いが聞こえるが、一切声を発しようとしない。
「もしもし?」
先ほどより柔らかい声音で話しかけてみると、
「……はぁはぁ、パンツ何色?」
たちの悪い変態だった。こなみは念のためズボンを引っ張って確認する。
そして、相変わらず興奮している相手に、努めて冷静に応えた。
「――どどめ色?」
電話が切れた。
――ってことがあってさぁ、」
こなみは全てを言い終えると思い出したように、再び大爆笑しだした。
「っていうかどどめ色っておまえ……」
俺は電話越しに溜息をつく。手に持つ筆を動かすことを忘れるくらい、くだらなかった。
「今日はどどめパンツだよ」
「心底どうでもいい」
あああもうこいつに一々構っているようだったら、描ける絵も描けやしない!
課題に追われているのに、こんな奴と悠長に電話する暇はないのだ。
「なぁもう切るぞ」
「あ、待って、最後に一つだけ」
渋々押しかけた電源ボタンから指を外し、耳に受話器を当てる。
一々構うのにも時間がかかるが、拗ねるともっと時間がかかるんだ。
「パンツ何色?」
「――ッ赤!」
電話を切った。
2012.06.05
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ベルが鳴る。
我先にと進んでゆく勇気はなんのためか。
日が昇る度繰り広げられるその根気は何のためか。
生きるため? イエス!
活きるため? 解りかねます!
繰り返し、繰り返し、まるで芸を教えられた猿のよう!
食べる食う寝る詰め込まれる、食べる食う寝る詰め込まれる。
結構結構、誠に本能的な活動じゃないか。
得るものがないのは百も承知、おっくせんまんおっくせんまん単位で人間は歩んでいくんだろう。
たかが数千年ぽっちの短さで、文明に溺れ、こんなにも傲るようになってしまった。
人間は感情を制御できる唯一の生き物です。
人間は本能を制御できる唯一の生き物です。
他の生き物がどうかなんて誰に分かろう?
流行りの擬人化でもして教えていただかないと納得できません。
微生物を擬人化して聞こう。
君は食べるとき、他人のそれを奪うかい?
微生物は言った、ぷぅ。
ぷぅ。 アハハハハ傑作も傑作! 微生物はぷぅと鳴いた!
ぷぅぷぅぷぅぷぅぷぅぷぅぷぅぷぅなんか吐きそうな人間の呻きらしい声に聞こえる。
ぅぷ。
背後で人間がえずく。
僕はぞっとして鞄を手前に持ってきた。
辺りに充満する香水と汗の匂い。
そのハーモニーときたら、汚いトイレの方が幾分か整っていると思える不協和音。
アピール自制しろ人間。
背後の人間が嘔吐した。
エェイヤァ君からもらいゲロ。
酸味の強い匂いに鼻を摘んで、来る帰宅に思いを馳せた。
あぁ早く帰りたい。早く帰りたい。
だが今はまだ向かっている最中だ。
アーメン我が神よ。敬虔な信者を救いたまえ。
あっ冗談ですお願いしますサタン様助けてください。
満員電車なんか嫌いだ!
2012.06.19
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いつも三秒前で、決まって三秒後だ。
文字通り瞬く間に、脳に滑り込んでくる最悪の結果。
「左に三歩!」
六妃の鋭い指示に反応し、ティーアは咄嗟に左方に転がった。
直後、教会のステンドグラスが破裂する。
色とりどりの破片が床に散らばり、六妃の腕を掠めた。
見向きもせず、天を指す。
「まだだ! 隊長、上!」
隊長と呼ばれた幼い少女は、軽い身のこなしで長椅子の下に潜り込んだ。
天井が突き破られ、屋根に立てられていた十字架が、ティーアのいた場所に突き刺さる。
椅子の下からティーアが不平を漏らした。
「まったく、ただの一撃すらくれてやれん!」
「しかたないですよ、"彼"は食べ過ぎたんですから」
崩れた天井の向こうには、嫌になるくらいの爽やかな青空。
そしてそれを覆い隠すほどの黒い塊。塊は歯のない口を開閉させて、大きな白濁い目で二人を探していた。
「出て行ったらこっちが潰されます」
「これからの行動は?」
「分かりません、ただ、あれがまだ食べ続けようとしてることくらいで」
ティーアは溜め息を吐く。
停滞した物語、破綻した物語を壊して、ゼロにするために彼らは存在する。
故に彼らは、ブレイカーとも物語の夢とも言われる。
彼らは、核となる要素を壊すか傷つけるかして、その物語を文字通り終末に導くのだ。
瓦礫を貪る物語の"核"に六妃は目を向けた。
緩慢な動作であちこちを徘徊しているが、一度獲物を見つけると信じられないスピードで動き出す。
こちらの手は二つ。
一つは片方がおとりとなって背後から一撃で仕留めること。
二つ目は、
「槻良! 後ろだ!」
ティーアの喚起に六妃は背後を振り向、く前にその体を飲み込まれた。
策が二つある。
一つ目は、片方がおとりになり、背後から一撃で仕留める方法。但し攻撃に長けない二人では仕留めきれない可能性あり。
二つ目は、六妃が"食べられ"、中からぶった斬る方法。
歯がない塊に六妃は噛めない。
六妃の視界が暗闇に閉ざされる。
息を吐く。六妃は、腰に携えた日本刀に手をかけ、もう片方の手にコピーした。
塊の腹が真一文字に切り開かれる。
傷口からボロボロと零れていく瓦礫に、塊が口を近づける。
新たな補食対象を見つけたそれは、完全にティーアの前で無防備な姿を晒していた。
「隊長、今です!」
胃の外に飛び出した六妃が叫んだ。
ティーアは跳躍する。
「こいつの"悪"は食べ過ぎたことではない。消化を忘れたことだ」
濁った目がティーアを向いた。
「消化を忘れた奴は、……吐き出さねばならんな」
塊の開いた口に、ティーアは重厚を向け、大量の水を叩き込んだ。
流れ込んでくる未来。
着地した六妃は、瞬時に落下してきたティーアを受け止める。
そして、零れた内容物の瓦礫をと掴むと自らの頭上へとコピーした。
塊が全てを空にぶちまける。
飛散する食べられたものたちは暴力となって地に降り注ぎ、強い衝撃が瓦礫を支える六妃の腕を襲った。
「ぐ、ぅあ!」
「ッ六妃!」
重い一撃、瓦礫にひびが入り、ぱきんと二つに割れる。
開けた視界には、青い空。その中に、小さく萎んだ黒い塊が力なく横たわっていた。
世界が暗闇に崩れ出す。それは教会も、塊も、地面でさえも例外ではない。
崩れ行く空を眺め、六妃とティーアは顔を見合わせる。
「終わり、ですね」
「"バッドイーター"は、全てを吐き出し破滅した。それで、完結だ」
主人公の死んだ物語は、そうして消えていった。
2012.07.07
既視の未来。
小さい錠剤を手のひらに落とす。
何の変哲もないこの粒なしには、彼女は生きていけなくなってしまった。
それ自体には一切の依存性を持たない、市販の腹痛薬。
効き目はそこそこ、その代わりに副作用も目立たない。
彼女は震える手で、水をたっぷり注いだコップを飲み干す。
喉を伝う滴もそのままに、深く、深く息を吐いた。
とある昼下がり、彼女は顔面蒼白で鞄の中を弄っていた。
周囲の好奇の目は、彼女の眼中にない。
彼女の心中にはただ、あの腹痛薬のことのみがある。
普段なら常に潜ませてあるそれが、今日に限って無かった。
真実を言うなら、余りに薬を常用する娘を心配に思った母親が、こっそり取り上げたという、ただそれだけのことだった。
しかし、彼女にとっては違う。
キリキリ絞られるような腹痛を抑えるには、あの薬が必要だった。
あれがないと! あれがないと私は狂ってしまいそう!
彼女がいくら心の中で叫んだところで、誰も気づかないし、助けてはくれない。
座席に突っ伏して彼女は震え始めた。
このまま腹痛が治まらなくて、胃がはちきれたらどうしよう。
腹痛虫を殺さなきゃ、早く殺さなきゃ、お腹の中が食い荒らされてしまう。
彼女の顔は、恐れと涙と鼻水で、目もあてられない。
誰かが彼女の席を避けたが彼女はそれを見なかった。
「――さん、大丈夫?」
ついに、ひとりの女生徒が彼女に声をかける。
教室中の意識が彼女たちに向いた。
「お腹痛いの? 前みたいに」
女生徒はマリアのように彼女に語りかける。
「これ、あげる。腹痛薬、前みたいにきっとよくなるよ」
「前みたいに……?」
彼女は繰り返した。
優しく微笑む彼女はその見慣れた腹痛薬を、まるで神々しいもののように受け取った。
「そう、前みたいに。忘れちゃった? これ、てきめんなんだよ」
初めてその薬を知ったときの記憶が彼女の中に呼び覚まされる。
「あなたが、私に教えてくれたんだっけ」
「そうだよ! 忘れちゃったの?」
女生徒は口を尖らせて、薬を彼女から取り上げた。
「あ、ご、ごめんなさい、今度こそ忘れないから。だからそれ……」
女生徒はじろじろ彼女を見つめる。そして花のような笑顔を浮かべ、彼女の手のひらに宝をのせた。
「許してあげる。でももう忘れちゃだめだよ、私があなたに教えたことと、この薬があなたに欠かせないってこと」
彼女はしきりに頷く。
脳に焼き付けるように、女神の顔を凝視した。
そして弾かれたように薬を飲み干す。
彼女はみるみるしぼんでいく腹の痛みに、幸せをかみしめた。
2012.07.07
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拝啓、もうそろそろお返事くださってもいいんじゃないですか?
毎日絶えず、飽くことなくはたらきかけてる私の労力を無視して、貴方はいつも冷ややかに私を見る。
偶に微笑みさえするものの、それって本当に私に向けて笑っているの?
私の向こうに居る誰か、あなたの愛おしい人に微笑みかけてるんじゃないの?
別に腹が立っているわけじゃないんですよ。私は実に穏やかな気持ちでこのお手紙を書いてるの。
でも偶に、通りかかる船に波立つ水面のように穏やかさが乱れてしまうだけなの。
ご存知? 人は愛しながら憎めるの。まぁそんな話はどうでもよくて、今はあなたの返事が大事。
いつまで待ったら気が済む? 少しの目処でもいいから、お聞かせ願えません?
ほらまたはぐらかすように、お友達と話し出すでしょ。
そういう逃げやすいところが私、嫌いなの。でも、愛しているの、貴方を。
だから、もうそろそろお返事くださってもいいんじゃないですか?
私の謙虚で堅実な愛を認めてくださってもいいんじゃないですか?
そして、その愛に報いてくださってもいいんじゃないですか?
……またダンマリを決め込むのね。そう、なら構いません。
私は忍耐強い女ですから、いつまでもいつまでも待ち続けます。
貴方が私のことを思い出すまで待ち続けます。
貴方が私の愛に報いてくれるまで待ち続けます。
だって、そうでもしないと、私今にもおかしくなって、そこの棚にあるカッターナイフで首をかききってしまうもの。
でも、忍耐にだって限界があるものですから、きっとあと一年もしたら耐えられなくなって、私棚に手を伸ばすんだわ。
分かりますか? 焦がれるこの気持ちが。分からないでしょう。
分かっていたら、あなた、絶対にそんな風に笑えない。
私がしなないうちに、お返事くださいね、敬具
*
拝啓、私が前にあと一年もしたら、耐えられなくなって、カッターナイフで死んでしまうといったのを憶えていますか?
あと七ヶ月も残っていますが、私はあと七ヶ月も耐えられるんですか?
あなたに聞いたってわからないでしょう。私はばかね。
だって、あなたが私のことを良く知ってくれているなら、本当に、本当にすぐに返事をくださったはずだもの。
諦めの悪い、下品な女だと思ってらっしゃる?
まさか、こんなにも長いこと、あなたのことを愛していられるのは、きっと私が真にいい女だからよ。
分かるでしょう。だって、人って、醜いものは嫌いだものね。
時が経って、あなた、醜い顔になってしまうの。それは、みんな同じことだから、きっとわたしもそう。
その醜くなった私を、貴方は愛すると思うわ。だって、私があなたを愛しているから。
このことはあなたにとって大切な、無二のものになると思うから。
あなたがみんなから忘れ去られて、私だけが貴方を愛するようになる。
そうしたら、貴方はきっと私のありがたみっていうものが、分かるんだわ。
今は分からなくていい。そのときになったら、でいいの。
だから、今は安心して私の事を品の無い女だとお思いになって。私、別に悲しかったり、悔しかったりしません。
そういう現金なあなたのところだって、私は愛しているんだから。
話がずれてしまいました。あなたの返事の話です。
私があと七ヶ月生きているか、どうか、そんな些細な話はもうどうでもいいんです。
ただ、あなたがあと何ヶ月で返事をくれるかっていう話。
十三ヶ月なんて冗談言っちゃいやですよ。十二よりも小さくなきゃいけないですからね。
これは本当に、こころの奥からのお願いなんです。
もう、私の苦しみを、分かってください。
あなたが、焦らすその一瞬一瞬に、私の心は愛に焼かれ、焦げ落ちていくんです。
いいですか、わたしの心臓が、愛に焼かれ、消えてなくなるまでに、お返事くださいね、敬具
*
拝啓、私に残されているのはあと一ヶ月なんです。
今日の時点で三十日ですから、きっとあなたのもとに届いてからは、そう、多分二十五日なんだわ。
それはそうと、このあいだ光の三原色に身を任せたあなたが仰ったのは、エイプリル・フールのジョークですよね。
私を驚かせて、そうして、キレイな銀の指輪をプレゼントしてくださるんですよね。
斑になった貴方が忘れられなくて、こうして不安になって、また手紙を書いてしまったんです。
分かってください。私のこの愛を、苦しみを、不安を、分かってください。
私ってば、冗談の通じない女ですから、もうそのことは、あなたもお分かりになっているはずですよ。
もう何通目でしょうか、きっと四十を超えていると思います。
その中で何度か、冗談の通じないことに言及しているはずです。忘れちゃったの?
まぁ、でも私は許してあげる。だって貴方を愛しているから。
でもこれっきりよ、お願いよ、絶対にもう忘れないで。私は冗談が嫌いなの。
思い出すのも忌々しい、ブラック・ジョークってやつね。
だって、おかしいじゃない、私が貴方を待っているのに、あなたは私になにもしてくれない。
見返りを求めてるんじゃないの、レスポンスが欲しいだけなの。
それなのに、あなた、なんていったの? 今をときめく……なんだって?
思い出したくないわ、忘れてしまいたい。でも貴方がいった冗談だけは絶対に忘れられない。
どうして私を裏切ろうと見せかけたの? 分かった、嫉妬して欲しいのね。
そんなもの、しなくたって私はあなたを愛してるってわかってるじゃない。
だから、ほら、もうそろそろ、いい加減にお返事くださいな。
あなたが私を愛するといえば、それだけでいいのに、その手間さえも面倒くさがって。
そういうところも愛おしいけど、少し腹立たしくもあるわ。
とにかく、いま、私の前の前でつながれたその手と、寄り添っているからだと、指に嵌められた銀のリング。
切り裂いちゃっていいかしら。
明日ね。私、あなたの傍に行くから、それまでに全部なくしておかないと。だめよ。
敬具」
彼女はそういって、ブラウン管のテレビを力一杯叩き付けた。
目の前にうつるのは、彼女が永遠に愛してやまない男性と、その男性に寄り添う忌々しい女。
彼女の手に握られるのは、もう、愛用していた万年筆ではない。
2012.08.22
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