26.尻尾

「耳に尻尾は付き物だなんて誰かが言った。
 人間に尻尾が無いのは、人間がなによりも不完全だからだろうか。
 動物であるのに尻尾がないのは、不完全だからだ。
 三メートルほど落下すれば容易く骨は折れるし、打ち所の悪い場合は死に至る。
 脆弱な身体。新聞で一度叩かれても生き延びるゴキブリと比べればもっと。
 尾てい骨を触ってみたら、少しへこんでいて、そこから尻がある。
 本当であれば、裂け目のはじめのところに尻尾があるはずで、でもそれがない。
 人間は精神的に高尚でも肉体的には低俗だ。
 本能に負けた、なんていうのは明らかに肉体の所為だ。
 精神と肉体の合致によって人間が出来るはずが、肉体が欠けてしまった。
 欠損を放置すれば、欠損したことすら忘れて子孫を残す。そうしてできたのは欠損した子孫。
 欠損があるから完璧にはなれないんだ。
 だって精神はこんなにも、こんなにも姑息で意地悪い。
 善意さえも疑って、針すら通らない穴をほじくって糾弾するくせに、人間が完璧になれないのは尻尾の所為だ。
 ……ところで私は完ぺき主義でね。
 自分にかけているものが許せないんだよ、分かるかい?
 あるものが、ない。君の常に着用する靴がなかったら、君は気持ちが悪くてしょうがないだろう?
 私はまさにその状況にあるんだ。
 でもどうあがいても尻尾なんて生えてきやしないから、そこで人間は精神を満たすために行動を起こすんだ。
 代償行為。適応機制の一つだ、君も知っているはずだよ?」
「……で、これか」
男は溜息をついた。猫耳フードのついたコート、その下に揺れる一つの縄。
まるで尻尾のように垂れ下がったそれを見て踏みつける。
端をズボンに挟んでいただけで、容易く抜け落ちた。
猫は悲鳴を上げて、声高に男を非難する。
「そもそも、人間がしっぽとりなんていう遊びを考え出したことが、その欠損で」
「うるさいなぁもう」
誰だって目の前に動くものがあれば目で追うだろう。
そしてそれが「不要」であれば取り除くだろう。
男は、目の前の人間についた「いらない尻尾」を引き抜いただけなのだ。
尻尾は退化した。退化したのは不要だったからだ。
わざわざ不要なものをつけたいと願うのは、肉体的に余裕のあること。
つまり、これはただの装飾に過ぎない。
なんだかんだと御託を並べて、目の前の猫は尻尾をつけたかっただけなのだ。
「それにしても尻尾にしてはお粗末だよなぁ」
ごみばこに打ち捨てられていたものを拾ってきたような汚さだ。
これではとても尻尾に見えない。猫耳が無駄になってしまう。
どうせなら、針金入りの……専用のコスチュームでも買って装着すればまだ、らしいのに。
「そんなのいうなら買ってよ」
「駄目だ」
話し込んだ所為で冷めてしまったコーヒーを啜る。いささか旨みの削げた味だった。
「そもそも、室内でコートを着るんじゃない。汚れたら勿体無い」
不要なものは取り除く。目深に被ったフードを掴んで、ずるりと引き取った。
急な寒気に肩を震わせて、体温を求めて雪崩れ込んでくる。
寒いのは男も一緒で、ただお互い足りないものを求めて唇を重ねた。

2012.02.16
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27.キラキラヒカル

葉の影が落ちる森の中。男は宛もなく歩を進める。
射し込む光はもう赤く、地平線は青く染まり始めていた。
人家を探し始めていくらほど歩いただろうか、男は考えて、やめた。
とにかく、森を抜け出してしまわないことには、人家などあるはずもないのだ。
鳥のさえずりはもう聞こえない。聞こえるのは、葉のざわめく音と土を踏む音だけ。
一度立ち止まり辺りを見回した。はるか前方に、出口が見える。
希望に目を開いたとき、ふと、男の耳に澄んだ鐘の音が届いた。
その音は、存外近い場所から聞こえる。男は足を急がせた。
空の色はとうに青くなっていた。雲に隠れて、月は見えない。
森の切れ目、その先へ駆ければ、密やかに純白の教会がそこに佇んでいた。
神聖な白に視線が釘付けになる。鐘は丁度鳴り止んだところだった。
「にいちゃん、旅人?」
「もう夜よ、危ないわ」
息を整える男の足下で、子供らしい声がふたつ。
視線を下げれば、赤い少女と緑の少年が男を見上げ立っていた。
兄妹らしい二人は、よくにた顔立ちをしていて、その目は空ほどに澄んでいる。
二人の問いに、男は答える。
「宿を探しているんだ、どこか知らないかい?」
兄妹は顔を見合わせて、同時に教会を指差した。
「私たちの家に来るといいわ」
「今なら神父のお説教つきだぜ」

教会は近付くにつれてその白さを増した。
ささやかな戸が開き、中から神父が顔を出す。
温和そうな、悪く言えば警戒心のない顔をしていた。
気の強そうな子供たちとは正反対だ。神父は喜んで男を迎えた。
このあたりは宿も街もなく、教会が旅人の寄る辺なのだという。
あたたかいシチュー鍋をかき混ぜながら神父は語った。
だからこそ、森の方へ入ると、たちまちそこは賊のなわばりだということも。
兄妹は森から出てきた男に、屈託なく話かけてきた。
どうやら神父の親心は、好奇心に満ちた兄妹には理解されていないらしい。
諫める神父の言葉に聞く耳持たず、兄妹は旅人に矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。
「旅人さんは、今までどこを通ってきたの」
「そこにいたとき、どんな生活をしてたの」
「そこはどんな言葉を話すの」
「そこはどんな食べ物があるの」
「そこはどんな生き物がいるの」
「旅人さんの故郷はどんなところなの」
男が話を聞かせてやる度、兄妹の瞳は輝いた。きらきら、きらきらと、まるで宝石のように。
暖かいシチューを味わったあと、案内された男の部屋は兄妹の部屋の隣だった。
客室のその部屋には、柔らかい寝具に暖かい毛布が設えてあった。
神父は男に何かあったら呼ぶこと、お腹がすけば声をかけることを言い残し、兄妹の世話に駆けて行った。
男は羽毛のようなベッドに腰掛けて、窓越しに空を見上げる。
星がまたたき、雲はすっきりとなくなって快晴だ。
目を閉じ、自制する。張り裂けそうなくらい、鼓動が鳴り響いていた。

勢いよく開けられる扉、照らされたランタンに目が眩む。
飛び込んできた神父と妹は、部屋の状況を目視して息を呑んだ。
「兄様ぁあッ!」
少女の悲痛な声がつんざく。男の手元には、右目を抉り取られ脱力した兄の姿があった。
男は夜空の下、瞬く星の下でたったいま兄から抉り取った眼球を透かした。
粘液で光沢を持つそれはビー玉のようで、男の心は沸き立つ。
「俺は旅人じゃなくて、眼球泥棒なんだ。でも本当に、本当に泊まるだけのつもりだった」
誰にでもなく謝罪する。
「でも君たちが、あんまりにも綺麗な目で見つめるから」
「どうしても……どうしても、我慢できなくなったんだよ」
「だから、一つだけ、」
愛おしげに眼球を見る、青緑をした綺麗なそれは月明かりに映える。
神父がほうきを振りかぶると同時に、倒れこむようにして男は窓の外へ消えた。

2012.03.01
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28.薔薇色

温かいココアを啜る。甘苦い味が口内に広がって、暖かさが胸に染み渡った。
隣に腰を下ろした白羽は顔をほころばせた有守に微笑む。
そして、まだ湯気の立ち上る自分のコーヒーを机上に置いた。
外は雨が降っていて、窓にぶつかる雫の音、水を弾くタイヤの音が定期的に聞こえている。
人の声も、余計な物音もしない。静かな夜だった。
ぱらりと足元に散らばる新聞を捲ってみる。
書いてあるのは中々に憂鬱な文面ばかりで、とても娯楽になりはしない。
見なかった振りをして、隣の白羽の横顔を見つめた。
「どうしたの、ありす」
「俺はアリスじゃねぇって、ば」
であった頃から繰り返したやり取り。彼はアリスではなくて、有守なのだ。
白羽は口を尖らせる有守の髪を梳いて、あやす様に囁いた。
「知ってるよ。有守、でしょう」
「分かってるならいいんだよ」
砂糖もミルクも入ってないコーヒーは苦くて、それでもこの甘ったるい幸せな時間を美味しくするためには丁度よかった。
白羽は有守の足元に散らばった新聞を手にとって、机上に広げる。
堂々とした活字に写真。しかし文面は不安を煽るものばかり。
一つの記事を目にしてしまったらしく、有守は顔を顰めた。
「それ、閉じろよ」
「どうして、」
視線を追えば、その先には俳優が心中したとの記事があった。
そしてその隣には、愛憎劇の推察がまことしやかに記されている。

つい、この間まで、繰り広げられたこと。それが有守の頭の中で重なったのだろう。
嫌な未来を見せてくれる、と嘆息した。
「心配しないで、もう、殺しあう必要なんてない」
白羽は肩を抱き寄せ、首元に顔を埋める。暖かい体温が、冷えた頬を癒してくれた。
それは有守も同じようで、存在を確かめるように擦り寄ってくる。
幸せの甘さに耐え切れず、白羽は一口コーヒーを口にした。
それでも十分に口の中は甘くて、ともすれば砂糖の山に溺れてしまいそうだ。
「有守」
呼びかけに応じた有守の視線には、コーヒーカップを持つ白羽の姿。
首を傾げた有守の視線を新聞に誘導して、その上にコーヒーをぶちまけた。
「! お前っ、なにを……」
面食らった有守が声を上げる。
机の上はコーヒーの茶色に染められて、雫は絨毯に滴り落ちる。
「君が望むなら、それは現実になる。――君が否定するなら、それは幻のままだよ」

いつか語りかけた言葉。
コーヒーに溺れた新聞は文字をぼやかし、もうそれは読み取れない。
幻になった可能性は、まるめてゴミ箱に廃棄された。
灰色の新聞はもうない。部屋の中に漂っていた苦味さえも。

後に残ったのは、静かな、二人だけの

2012.03.02
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29.息も絶え絶え

駆けて、駆けて、駆ける。
目の前を走っていく同僚を追いかけて、階段を昇り続けた。
恐らく走り始めたのは三階だから、今は、――わからない。
とにかく目の前のバカに追いつくほかない。
ハァッと漏れた息が白かった。寒い、寒い冬の日。
歯を鳴らして震えていた俺の首に、あのバカは手を巻きつけた。
当然俺は悲鳴をあげて、奴を糾弾する。
するとその隙を見計らったのか、奴は処理している最中の書類を机の上から取り上げたのだ。
俺が手を伸ばすも同僚はもう駆け出していて、大人気なくもこうやって今、社内を疾走している。
「お前ッ、バカだろ!」
叫んだ言葉は、容赦なく肺から酸素を奪い取ってしまう。
痰が喉の奥で絡まって、喉がヒュウと鳴いた。
あのバカはといえば、少し上のほうで何が楽しいのか爆笑しながらひたすらに逃げている。
書類は、今日中に提出しなければならないものだ。
幾分か余裕はあったものの、それはバカに奪い取られるというハプニングは予測していない。
うかうかしていると、急いで仕上げなくてはいけない羽目になりそうだ。
それだけは、絶対にさけなくてはいけない。
運動不足の足が軋んでも、肺が喘いでも、全部を唾と一緒に飲み込んで押し殺した。

いつのまにかもう階段はなくなっていて、一つのお粗末な扉が目の前に飛び込んできた。
最上階まで来てしまったらしい。最上階は三十階だ、あのバカは二十七階分も走らせたのか。
錆びた扉を開いて、あがった息と体温をしずめるために深呼吸をする。
頬に滲んだ汗を、冬の冷気が拭い去った。とても心地がいい。
ただ、喉の奥に針でもあるようにチクチクと痛んで、頭も重い。
屋上の端で俺を見て笑っているバカは手招きして、空を指差した。
鉛のような頭を上空に向ける。明るい月が、まんまるに佇んでいた。
漏れた嘆息が白い蒸気になって月に掛かる。
「もうオッサンじゃん」
同僚が俺の上気した頬を突いた。そういうコイツも、指の先まで血が通っているみたいだった。
「はは、う、るせぇ、オッサ、ンの癖、しては、しゃぎや、がっ、て」
呼吸のついでのように音を吐く。本当の本当に、酸素が足りなかった。
最後に全力疾走したのはいつだっけ。
最後に息を切らせたのはいつだっけ。
最後に暖かくなったのはいつだっけ。
遠い昔のような気がした。
昔の自分は、こんなことをやっても平気だった。
今はこんなに、こんなにも、苦しいのに。
「は、くる、し、ぃな」
俺はそこでゆっくりと膝を折って、

                倒れた。

2012.03.03
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30.納得行かない

どうしてこうなってしまったのかと、思わずにはいられない。
眼前で繰り広げられるのは、ひとつ間違えば生死に関わるほどの激闘。
ユーゴの幼馴染である、兄と妹で繰り広げられているのは殺し合いだった。
とあることをキッカケとして、妹は兄の身体を保存するため、殺そうとした。
とあることをキッカケとして、兄は妹に恐怖を覚えて、我を失い応戦した。
一度はずれたタガが元に戻ることはない。
それ以来、顔を見合わせれば、二人は殺しあうことを常としていた。

ユーゴは飛んでくる障害物をマントでやり過ごして、大きく溜息をついた。
そもそも、幼い頃は二人はたいそう仲が良く、将来独立していけるのか不安なほどだった。
少し目を離せば追いかけっこをして、花を届けにきたユーゴと一緒にかくれんぼをした。
花のように笑って、にいさまだいすきと言っていたリヴァーナは今何処へいってしまったのだろう。
兄であるヴェルナムを殺そうと奮起する、その姿はとても恐ろしい。
ヴェルナムといえば、やんちゃでカップを割ったり花瓶をぶちまけたりすることが常だった。
それが今では泰然自若に騎士として勤めを果たしている。成長の一種かもしれない。
しかし、後を追って騎士になったリヴァーナを露骨に避け、穏やかさを望んでいるのはあり得ない豹変だろう。
ヴェルナムの片目がなくなってから、リヴァーナは変わってしまった。
ヴェルナムの片目がなくなってから、二人の関係は変わってしまった。
どうしても、ユーゴには納得がいかなかった。

「おい君たち、もうそろそろ止めたほうがいい。主様が困惑してるだろう」
ついそこを通りがかった主は、現場の惨状を見て目を白黒させて立ち竦んでいる。
兄はユーゴの呼びかけに視線をちらりと向けると、妹の足を掴み地面に叩き付けた。
足の骨の折れる嫌な音がし、頭を強打した妹が気絶する。
事態をどんな形であれ収拾させた兄は、平然とした顔で主に膝を折った。
「申し訳ございません。私の教育不行き届きです。喜んで懲罰をお受けいたします」
主はというと、流血する二人の兄妹が心配で未だに右往左往している。
兄は何を思ったのか、すっと槍を妹に構え、突き刺そうとした。
慌ててユーゴが間に入る。槍はユーゴの盾に遮られ、妹を貫くことは無かった。
ヴェルナムは眉を顰めてユーゴをにらみつけた。
「何をする」
「此方の台詞だ。ヴェルナム、妹を殺す気かい?」
「主の気分を害した。妹を殺した後、俺も自害する」
「主はそういうことを言いたいんじゃないだろう。怪我を心配なさっているだけだ」
「……それはお前の推測だ」
主は癒し手を呼び、しっかりと二人に傷を癒すよう命令した。
ご命令とあらば、と素直にしていたが、命令がなければ彼らは二人とも死んでいたのだろう。
心配、友愛。それは彼らには届かない。
純粋な愛を受け取れなくなったのは、いつからだろう。
ユーゴは破綻してしまった二人の幼馴染を思いやって、深く、深く溜息をついた。

どうしてこうなってしまったのだろう。
ユーゴにはどうしても納得がいかなかった。

2012.03.02
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