16.気配

「寒い」
首ががっぱり開いた服を着ているこなくんが、震えながら呟いた。
いい加減冬も近いし、もっと厚い服を着れば良いのに。
「上着貸してあげようか」
幸い僕は大した寒がりでもないから、今日おろしたてのカーディガンを差し出す。
暫くそれを見つめて、口元をきゅっと結んだこなくんは、大仰に胸の前で手を振ってそれを僕に押し返す。
「いいや、年下から恵んでもらうつもりはないからね?」
「変なの」
「変じゃないよ」
笑って自分で羽織れば、こなくんの羨むような目線がつきささる。
こなくんの意地っ張り。強がり。風邪を引いても知らないんだから。
散歩がてら立ち寄った公園を少し足早に歩く。
肩に申し訳程度にかけられたカーディガンは、冷たさを帯びた風にはためいて、一切暖かみを感じられない。
それでいいのは、あんまり寒くないからであるし、それでも着るのは、頑固な従兄弟を陥落させてみたいという悪戯心だ。
「ほら、こなくん。マントみたいでしょ」
「見せ付けてる?」
「……着たい?」
鋭い従兄弟はそんな悪戯心なんてあっという間に見破ってしまって、それでも僕は負けたくなくて、目の前にカーディガンを差し出した。
「……〜っ、今は秋だろ」
噛み締められたこなくんの唇からは血色が見受けられない。
夏は暑いと言って動かなくなるし、温度変化に敏感なんだろう。
でもそれは、季節の特徴を一番に感じられると言うことで。
さしずめ今のこなくんは、残暑厳しい秋、涼しい秋から寒い冬へ移行する過程を感じているんだろう。
少し羨ましいかもしれない。だって、楽しそうだし。
僕たちが生きるのはこの世界しかないんだから。
「もう寒いなら、こなくんにとっては冬だよ、ほら」
風に弄ばれるカーディガンは、こなくんを誘うようにひらひら左右に動く。
「お前は寒くないのか?」
「んー、風の子だからね」
「子供ってことか」
「上着要らないの?」
「……いる」
「素直でよろしい」
柔らかい茶色のカーディガンに身を包んだこなくんはほっと息をついて、その余った袖を頬へ当てた。
すりすりと手を擦っては、頬へ当てて、摩擦熱を伝達しているみたいだ。
数度その動作を繰り返して、こなくんはにっこりと笑う。
「うっはあったけ」
「幸せ?」
「うん、あんがと」
いつも以上に素直なこなくんの態度に照れを感じながら、再び歩を進め始めた。
枯葉が視界の端で舞い落ちる。少し肌寒いらしい風がひゅうと鳴いて、頬を撫ぜていく。

冬はもうすぐそこ。

2010.07.19
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17.泣いて泣いて泣いて

妹が涙を流している。
煌々と照る鮮紅色の光の中で、白銀に光る刃を抱いて。
噛み締められた唇からは血が滲み、口の端を垂れていく。
僕は炎に包まれた部屋で、音もなく涙する妹に、両手を広げた。
「だいじょうぶだよ」
努めて優しい口調で語りかける。
きらきら光を反射する眼球は、それだけでとても愛おしい。
「安心して、僕はきみの味方だよ」
「でも兄さん――」
涙まじりの可憐な声が炎の咆哮に掻き消される。
足元に広がる四肢の海は見ない振りをして、一歩足を踏み出した。

ぐちゃり。靴下が水分を吸い込んで鳴く。
染み渡る不快感を押し殺して、最愛の妹の手首を掴んだ。
「あいしてる」
いつしか告げなかった愛の言葉を紡げば、妹はようやくこちらへ歩き出す。
腕の間から反射する鈍光はいっそ無視して、幽鬼のような痩躯を抱きしめた。
「それは本当?」
細い声が真を問う。力強く頷いて、もう一度「あいしてる」と囁いた。
震える妹の手は僅かに刃を胸に引っ掛ける。
掠れるような痛みに顔を顰めるが、そんなものは今問題ではない。

「泣かせてごめんね」

優しく髪を梳く。胸に蹲められた妹の表情は分からず、ただ僕は周囲の火を眺めた。
今までの暮らし全てを灰に返す炎は喜びに舞っている。
ふと、妹がこちらを見つめて、口をぱかりと開いた。

「誰を?」

それは僕の心を突き刺して、息を止める。
言葉を失った僕を見て、妹は尚も言葉を続けた。

「お母さんを? お父さんを? あの女を? それとも、……私を?」
順繰りに足元で横たわる人間の名前を連ねて、無機質な声は氷塊のように背を滑り落ちた。
「じゃあどうして、兄さんは泣かないの?」
胸元に突きつけられた刃は冷たく、炎の中でただ映えた。
僕の白いシャツは、返り血で真っ赤に染まって、今や原型がうかがえない。

「だって、兄さん、ねぇ、その言葉が真実なら、泣いて」
縋るように妹は泣く。僕は答えずに、冷静にその肢体を眺めた。
細い、細い。折れそうな体。
「僕は、泣かない」
「どうして? 兄さんは悲しくないの?」
妹の声に感情が宿る。呆然としていた姿はどこへやら。
僕の赤を必死で拭い去るように、妹はその白い肌で僕に触れた。

「嫌、嫌よ兄さん。私から離れないで。ずっと一緒にいて」
炎が妹の感情を煽る。抱き閉められた腕は熱くて熱くて、火照ってしまっている。
叫ぶように妹は続ける。泣き叫ぶ。
「どうして兄さんは泣かないの。後悔するなら――っ、」
僕はその細い腕を引き離して、握られた白銀を左胸に当てた。

「いや、嫌っ、こうなるなら、兄さんは何のために皆を殺したの!?」

ずぶりと体内に異物が入り込んで、頭の中が真っ赤に染まった。
火の光を反射する瞳はまだ涙に濡れていて、僕はその瞼の上にキスをして、

「みんな泣いたからぼくが泣いた、いっそのこときみも泣いて」

みんな泣いたから(殺して、後悔した)ぼくが泣いた。いっそのこときみも(僕を殺して)泣いて。

2011.08.05
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18.自慢のコレクション

とても綺麗な宝がある。まだそれは私のものではない。
早く自分のものにしてしまいたいのだけれど、それは私の力ではまだ及ばない。
でも時間が流れて、美しさが欠かれてしまうのを私は許せない。
最高の今の状態をずっと保って、私はお兄様を「モノ」に変えるの。

「お兄様、今日こそその体を私にくださいませ」
「リヴァーナ、今日こそその髪を丁寧に扱え」

口論なんてお飾りで、槍と剣を向け合う私達は、相手の息の根を止める為に駆け出す。
私はお兄様の全て、お兄様は私の髪。
どちらかがどちらかのコレクションになるはずなのだけれど、いつも邪魔が入る。
例えば、喧嘩だと勘違いした仲裁だとか、訓練だと勘違いした介入とか!
それはそれで構わないんだけれども、どうしても時間が勿体無く感じられる。
強くなって、お兄様を綺麗に殺す。それが最適。

振るった剣は腕を捕らえて、突き出された槍に肩を抉られる。
真っ赤になった視界の中で、お兄様の碧眼が垣間見えて、愛しさとともに瞼の裏に火花が散った。
背中を強打した。肺から空気が漏れて、呼吸が詰まった。
追い討ちをかけるようにお兄様は私の腹を踏みつけて、私の喉から血が漏れた。
霞んだ視界の中、辛うじて動いた左手の剣で足を切りつける。
後退したお兄様は槍を地面に突き立てて、あらかじめ腹に叩き込んだ蹴りに膝を突いた。

遠くから主様の声が聞こえる。
制止を呼びかける声と、癒し手を呼ぶ声。

私は願ってやまない。
いつかお兄様が自慢のコレクションになってくれることを。

2011.08.05
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19.イエー!!!

秋も深まり、空が真っ赤に染まる頃。
その赤に負けんばかりの赤が目の前に広がっていた。
家には彼岸花。あの迷信は真実だったのかだなんて思ったりして。
とにかく――、河西は煌々と燃える自宅に悲鳴をあげた。

「家っ……俺の、家ぇえええっ!!」

隣に佇む彼岸花は申し訳なさそうに河西を見やる。
「ごめんね、奏、また燃やしちゃった……」
河西の家が燃えたのはこれで三回目。
そこそこの余裕はあったというものの、いい加減厳しくなってくる。
しかし河西は彼岸花を責める気にはならなかった。
彼女は神様だったのだ。

それは形容としての神ではなく、存在としての神。
火難の神。河西が彼女を彼岸花と呼ぶゆえんも、彼女が奏(かなん)という名なのも一重にそれゆえだった。
幼くして弱った彼女を拾った河西は、はたして彼女が神であることを知らず十年を過ごした。
とあるイザコザによって、真実が分かってからも河西は彼岸花を妹のように愛でている。
いや、それ以上の愛かもしれない。
さておき、河西の家は火難の神の影響で三度目の火災に遭った。
今までは少々の小火で済んでいたものの、これは洒落にならない。
「どうしようかな……」
思わず零れた言葉に、彼岸花は顔をうつむける。
火難を巻き起こすのは、奏の意志に関わらない。
奏は悪くないのだと言っても、奏はいつも納得がいかないようだった。

「奏、俺は奏がいてくれるだけでいい。どこにもいかないでくれ」
「河西、ごめん、ごめんね」

腕の中できらきらひかる彼岸花を、二度と手放すまいと力を込める。
目の前で燃え盛る家などいっそなくてもいい。
ずっと二人でいよう。

2011.09.17
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20.ジャンプ!

風が生温い。
室内を冷涼にする対価として支払われる外の暑さ。
廃棄される温熱は、外に存在する全てを疲弊させる。
僕も一様にその暑さに項垂れ、辟易して、逃げるようにして上を目指した。
階段を昇る。首元を伝う汗を拭って上がる体温を押し殺して。
真っ暗に陰った扉を開ければ、あたり一面には人工的な光と青黒い闇が広がる。
深夜も間近な時間。それなのに街は喧騒でいっぱいだ。
生温いけれども、それでも僅かに頬を拭う風が気持ち良い。

でも、ねぇ、知ってるだろう?
暖かい空気が上にのぼることを。
まるでバカと煙みたいだね。
そう、その暑さは人をバカにする。
僕が暑さから逃れる為にと暑さへ駆けたのも、それだ。
強いて言うなら頭が湧いた。
どうせ外に出るなら一階に出ればよかったのに。

さて、どうせこの空間に一人きりだ。
思う存分に独り言を零したいと思う。
壁に耳あり障子に目あり。でもここには壁も障子もない。
コンクリートを突き破って覗き見するくらいなら、もういっそきかせてあげよう。

「僕はこの世界が嫌いだ。自由というルールで縛り付ける世界が嫌いだ。
 恨めしい、そしてそれを自覚せず"自由に"生きる人間が羨ましい。
 僕は、賢い。周知の事実だ。でもそれが仇となって僕は今世界を憎んでいる」

汚泥となった黒い感情を、理性で偽って並べ立てる。
そこに心理も客観性もない。あるのは感情の事実だけ。
いくら一人が賢くても、それが押しつぶされるような世界であるなら、その能力は何のため?
ただ自分を拘束する縄でしかない。
その縄でゆるゆると首を絞められ死んでいく。

有能な人間は短命だ。僕もそうなるのだろうか。
一人、ほくそ笑んでビルの下を見下ろした。

「見ろ、皆、僕の、下にいる。僕の上には神だけだ。まるで、ごみの……」

やめた。
僕が賢いという事実を述べるならまだしも、そこから優越に浸った時人は退化する。
それを僕は知っている。だから、やめた。

暑い。生温い風もいよいよもって不快感を伴う。
暑い。暑い暑い暑い暑い暑い暑い。
「ああ、ここから飛んだら涼しそうだな」
始発点の高度が高いほど、落下する速度は速まるのだ。

「せーのっ」

「ジャンプ!」


力一杯足を踏ん張って、僕はビルの上から身を放り投げた。

涼しさを感じることはなかった。
背を強打した僕は、ただ僕を引き戻した同僚を睨みつける。
「痛い」
「痛いで済んでよかったな、このバカ」
僕よりはるかに頭の悪い同僚は、僕にバカといった。
プライドが僅かに傷ついたが、汗だくの彼を見ていると、文句を言う気も失せた。
「暑苦しいね」
「うるさい。お前が変なトコにいるからっ……慌てて……」
ほら、バカだ。
誰が神に賜れた命をコンクリート街に投げ捨てるものか。
どうせなら森の中で、分解されてやるさ。

「ふうん、そりゃお疲れ様。暑いから帰ろうか」
「最初からそうしろよ……」

今日も世界は変わらない。
バカと賢い人間の調和で、ずっとゼロのままだ。

2011.09.11
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