宵の明星が不機嫌に姿を隠し、枝のはしゃぐ声が姦しい。
ぶわりと吹き上がる風は生暖かく、二人の髪を嬲った。
どこまでも空虚な時間。あてもなく街を歩き回り、行き着いた果て。
閑散とした校庭は、かつて二人が学生だった頃と寸分違わぬ姿で立ち構えていた。
「三年ぶり?」
一人が口を開く。仮にこれを紫と呼ぼう。
いらえはせずに、相手、黒はただ静かに頷いた。
「この木の下だったよね、俺たちが出会ったのも、全部終わったのも」
感慨深げに呟いて、紫は乾いた樹皮を撫でる。
ざわりと幹が揺らいで白い粉が景色に散った。
「この木と同じ様に、俺達もなーんも変わってない。自堕落で、自己中心的で、脆弱で……」
自虐の言葉と共に臥せられた紫の瞳を慈しむように、瞼の上に花弁が触れる。
絹のような滑らかさを持った花弁は、するりと土の上に墜落した。
しばらくのあいだ降ることのなかった雨によって、乾いた土がそれを覆い隠す。
瞬く間に姿が見えなくなり、その上に黒の靴がのせられた。
「いつも以上に」
ようやっと口を開いた黒は、幾分背の高い紫を見上げると呟いた。
紫は首を傾げ、目を瞬かせる。
「いつも以上に?」
「本当のことをしゃべるんだな」
「……そうかな?」
黒にとって、今の紫は花弁が散ることによって露出した枝だった。
めったにつけたものではない不意であったのに、当の本人は動じていないのがやや悔しい。
「月の所為だよ」
「月出てねぇよ」
「それもそうだ」
紫の繕った嘘を容易く破り捨てて、小さく笑った。
次の衣を探しに思案にふける紫に、所在なさげな桜の木が傾いだ。
頭に降ってきたのは小さな冗談。
黒は割れた木肌に手を這わせて、その壮大な花の広がりを見上げる。
「どっちかっていうと、この桜の所為だろ」
紫は黒に倣って木を見上げ、それから口の端を歪ませて微笑んだ。
「じゃあそういうことにしとく、きっと俺は、」
ざわり、よりいっそう大きな風が吹いて、花びらが黒く染まった夜空に散った。
「夜桜に惑わされて、酔っちゃったんだね」
2011.04.11
2012.02.11修正
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絶体絶命。一言で表すならば、まさにそれであった。
主は深手を負い動けない状態にある。その上での奇襲。
よもや全滅かと皆が討ち死にの覚悟をきめはじめたころ。
きら、
と空が光った。
雨のように光の矢が降り注ぎ、優勢であった者たちの鎧を貫いていく。
苦悶の悲鳴が戦場を埋め尽くした。
一掃された周囲、多勢に無勢の形勢は一気に同等になった。
剣を片手にその様子を見ていることしかできなかった女将軍は、魔法の出所へ目を向けた。
「……誰?」
木陰から人影が現れる。
長い髪をしたミステリアスな女性は、無表情のまま手を差し伸べた。
「私……私は、通りすがりの魔道士です……、少し……見えたもので……」
俯き加減に紡がれる言葉は、とても頼りない。
くらい、くらい声だった。
しかし女将軍には一刻の猶予も残されていない。
「協力してくれるのですか?」
前を見据えて女性に請うた。女性は小さく頷いて、女将軍の横に構えている剣士を見やる。
その目は濁っており、何を思っているかは伺い知れない。
剣士はその女性を訝しげに見つめた。
暫し視線が交わる。
意を決したように、女性は手を挙げて、本陣の方を指差した。
「そこの、剣士さん……本陣の方に行ってください……」
唐突に繰り出された言葉は、剣士の中の不信感を掻き立てた。
その感情を読み取ったのか女性はまた無感情に念を押す。
「時間がありません。はやく……」
剣士は女将軍に判断を仰ぐ。どうせこのままでは負けてしまうのだ。
本陣にいる主になにかあるのは防がなくてはならない。
賭けにでる思いで、背後の剣士に呼びかけた。
「シャーン、お願いします」
剣士は、将軍の言葉の侭に踵を返す。
駆けて去った剣士の背を見送りながら、女性は女将軍に目を向ける。
「よかったのですか?」
「貴方の目はくらくて、少し怖いですが、でも曖昧な安らぎが在ります」
女将軍は微笑んで、剣を構えなおした。そして敵を睨みつける。
「シャーンが欠けた分は、あなたに託そうと思います」
将軍の強い眼差しに、女性は力強く自らの魔道書を握り締めた。
「私は……ここで尽きるはずのあなた方の未来を変えます……必ず……」
躊躇いはあった。
敵の謀略の可能性のほうが大きいからだ。第一根拠が無い。
しかし自らの身を捧げる隊長が言うのだから、自分はそれに従うのみだ。
そして謀略であったとしたら、剣士は主を捨て、将軍を助けに戻る。
それだけのこと。
森の中を駆けて駆けて駆けて駆けて、ひたすらに本陣を目指した。
丁度目と鼻の先までの距離になった頃、ざわりと異様な騒がしさが耳に届いた。
そして、なじみのある鉄の交わる音が響いている。
胸騒ぎが高鳴り、足が逸った。
「主殿……っ!」
踏み荒らされたテントに、傷ついた身体を引きずりながら応戦しようとする主が視界に入る。
下賤な笑みを浮かべた野党が、敵国からの褒美を求めて主を狙いにきたのだ。
女性の言葉を合点して剣士はその群の中に飛び込んでいった。
2011.04.12
2012.02.11修正
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掠れたノイズ入りの視界がボクの脳を侵す。
どこかのマンションと思しき狭い部屋。
視界に映るのは見たこともない女性。
否応無しにに惹きつけられていく精神は、周囲を観察することに集中した。
その向かいに男性が座っていて、二人は仲睦まじく談笑をしている。
彼らの手元には雑誌が広がっていて、一色の服装ばかりが目に見えた。
全くセンスの悪い雑誌だ、と思う。
女性はとても美しいから、そんな質素なものじゃなくて、もっときらびやかなものが似合うと思うのに。
しかしその思いも、他人事だからどうでもよくて、直ぐに消えてしまう。
女性が席を立ち、キッチンと思われるところでコーヒーを二つ分注いでいる。
男は何も言わずに雑誌に没頭していて、彼女が湯気に顔を顰めたことにすら気付かない。
鈍感なやつめ。恋人であるならもう少し気を配ればいいのに。
「ねぇ、どれがいいかな?」
女性が机にある雑誌を捲りながら、小首を傾げた。
男性は暫し考え込んだ風を見せてから、おずおずと指を差す。
「えっとね、この、二番が好きかな……」
「そっかー、結構丈短いね、こういうの好き?」
女性がそう聞くと、男性は顔を真っ赤にして俯いた。
そして、君のなら見たいと、蚊の鳴くような声で答える。
女性はその様子に少し頬を染めて、雑誌の「二番」に丸をつけた。
それから二人は寄り添って、来る幸せな日々に思いを馳せた。
さて、ボクはというと、一人真っ暗な部屋で一人ぼっち。
ヒゲも剃っていないし暫くは風呂にも入っていない。
でも誰にもあう必要がないからこうやってしていられる。
横を向けば無数の眼球。
否、レンズがこちらを一心に見つめていて、視線に耐え切れずボクは布団を被った。
打って変わって砂嵐になった目の前の画面を呆然と見つめつつ、押入れから流れ出る異臭に鼻をひくつかせる。
もう慣れっこになった、一般的に言うと、腐臭というもの。
ボクにとってはとても芳しいかおりで、意識するだけで口の中に唾液が湧き上がった。
押入れにいるのはボクの恋人。
結婚式当日に事故にあって殺されたボクの恋人。
半狂乱になったボクは、首を変な方向に曲げた彼女を抱えて自宅へ逃げこんだ。
そして押入れに彼女を埋葬して、昔隠し撮りしていた彼女との日々を繰り返し繰り返し見つめる。
輝いた日々は色あせることなく、少しのノイズと斜線とともに、ボクの生を繋げていた。
2011.04.14
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引かれて、曳かれて、惹かれて。
いつのまにか離れられなくなって、ただ落ちて行くことしかできない。
与えられることの無いはずの重みを強制的に与えられ、まるで囚われたもののようだと自虐する。
いくら嘆けど嘆けど、私の青は一切合財返事を寄越さない。
果てしなく孤独で虚しい毎日。
苦悩を他所に沈黙し続ける青の想う相手は誰だろう。
思案してみてもまたそれも虚無に包まれるだけ。
ただただ同じことを繰り返しながら、思いを告げることすらできずにいるのは、なんと愚かだろうか。
ねぇ愛しい青、君は私を想ってくれているの?
***
引いて、曳いて、惹いて。
いつのまにか離せなくなって、ただ沈黙することしか出来ない。
本来自由であった金を束縛して、まるで看守のようだと自虐する。
いくら与えれど与えれど、私の金は私と一つになってはくれない。
果てしなく孤独で虚しい毎日。
恋慕を他所に円を描くことを繰り返す、金の想う相手は誰だろう。
思案してみてもまたそれも恋焦がれる要因になるだけ。
ただただ相手を束縛し続けながら、思いを告げずにいられることすらできずにいるのは、なんと愚かだろうか。
ねぇ愛しい金、君は私を想ってくれているの?
2011.04.14
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「空に消えれたらどれだけ幸せなんだろう」
白い息が空へ昇る。風に掻き消されてなくなってしまった跡を掌で触って、ふうとまた息を吐いた。
「俺たちは地に朽ちるしかない」
星の瞬く屋根の上。
僕と『こなくん』は毛布を一緒に巻いてまどろんでいた。
不意に発されたこなくんの言葉は夢でも見ているかのように虚ろだ。
僕は頷くでもなくただ目を閉じた。
真っ暗な瞼の裏に夜空が映る。
そこには一筋の光があって、絵を描くみたいにこなくんの言葉通りに線を引いた。
「たとえ飛行機から灰を撒き散らしたとしても、それは重力によって必ず地に堕ちる」
星に紛れて飛んでいく粒子、風に流されて横へ、横へ。
宿り木を探している粒子。
「地じゃなかったとしても、必ず落下という動作を伴う。上には昇らない」
その粒子は『下』を厭うて視線を空へ向ける。
空では到達した粒子がきらきらと、星となって輝いている。
「きっと逆らえば、天使の羽のように燃え尽きてしまうから」
その星の傍に在るのは太陽の光を反射した月。
清廉なその風貌は「おいで」と言っているようだ。
粒子は空へ昇る。上へ、上へ。
しかし、なにかに阻まれたように潰えてしまうのだ。
視界による偏見とか色合いとか、眩しさとか、そういったものを全て排除して、陶酔した。
「泡から逃れて天使になって空を飛んで、そのまま溶けて消える。あるいは、文字通りお星様になったっていい」
例えばあの星がもう既に潰えていたとしても。
天使の羽は燃やされるものだとしても。
きっと自分の関わらなかった世界へ、接触しなかった次元へ行くこと自体が、こなくんにとって夢なんだと思った。
今日はとても空気が綺麗だ。
雲が星と月を際立てるように薄く広がって、光を受けている。
すっと透き通るような風と冷たさが頬を撫でて。
僕たちはただ、ずっと空を見ていた。
瞼の裏の粒子のように。
2011.05.25
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