唾液を吸い、口内から水分を奪い取っていく砂は、ヴェールのように視界を覆う。
街の中心にそびえ立つ塔は、熱気のせいでおぼろげに姿を揺らし、距離さえつかめなくなっていた。
砂漠を越え、西へと歩き続けた先にようやくたどり着いた街。
そこは砂漠から押し寄せる砂に食われ荒廃しきっていた。
鉄錆だらけの公衆電話は長く使われた様子もなく、ひっそりと佇んでいる。
なけなしの金でダイヤルした、遠く東の「本拠地」にいる友人の番号。
時折ぶつんときれるコール音の後、ノイズ混じりの怒鳴り声が飛び込んできた。
「どこほっつき歩いてんだよアンタはっ!」
声量に耐えかねた受話器がびりびりと震え、思わず耳の穴に指を突っ込む。
入り込んだ砂が爪の間に入り込んで、わずかな不快感に眉を顰めた。
「なに怒ってるの、書き置きしたでしょ。旅にでます、探さないでください、って」
「なんかの冗談かと思うだろ、あんなアホみたいに典型的な文面! なぁ、片さん、アンタ今どこにいるんだよ」
「えーと、砂漠」
素っ頓狂な男の声に、脳裏に懐かしい顔が浮かんだ。思わず口の端が緩み、安堵のため息が零れる。
元気らしい。ふと思い立って、必要最低限のものだけを持ち出し旅にでてから、もうじき二年になる。
銀行の残高をすべて下ろし、忽然と消えた(書き置きはした)自分に、周囲は騒然となったのだろう。
こんこんと語られる説教と罵倒の数々がそれを物語っている。
ひとが真剣に書いた書き置きをアホだといわれたのは耳に引っかかったが、回線の通じる制限時間はおそらくあと二分もない。
「そんなことより、確認したいことが、」
手短に用を話してしまおうと口を開いた瞬間、喉元に大振りの鎌が押し当てられた。
ひやりと皮膚に伝わった冷たさと、引っかかれたような痛み。黙り込んだのを不審に思った旧友が名前を呼ぶ。
残り時間はあと三十秒。
「西方のエジャプって国、最近相次いで国政の主要人物が死んでるはずなんだ。調べておいて。それから、」
「――きみは人? それとも道化?」
ぴた、と世界が止まった。背後に立ち並ぶ道化のカタチをしたバケモノ。
喉元に刃を振り下ろさんとしていた「リーダー」が鎌を落とす。
言葉を言い切るや否や、片は受話器を放り投げた。がちゃんと荒々しく着地した音を背後に聞いて、にやりと笑む。
旧友は七秒の空白を味わわずに済んだだろうか。
ベルトからナイフを取り出し、道化の一人に投げつける。
静止したリーダーに意識をとられ、頭を貫かれた「部下」のひとりは、地に倒れ伏し砂埃を舞い上げた。
ざわめき出す「背景」と、沈黙した「主役」に片は問いかける。ゆっくり、ゆっくり意識を奪うように。
「死に方を選ばせてあげる。絞首、斬首、どちらがいい?」
激昂し跳躍した道化たちが地面に落ちる。
殺意、過去、現在、すべてを忘れたように、道化の時間が消えた。
無防備になるその「七秒間」、その僅かな時間が片の独擅場。
スポットライトを主役から奪い去った「エキストラ」は、懐から取り出した赤い柄のナイフひとつで、役者すべての首を掻き切った。
首なしの道化は自らが事切れたことすら知らず、砂に身を沈めていく。
照りつける太陽、吹きすさぶ砂混じりの風に、ただ地面につきたてられたナイフが支えを失って倒れた。
カラカラと転がるそれを拾い上げ、片は髪にまとわりついた砂を払い落とす。
喉の奥にわだかまった細かい砂が、ごろごろと主張した。
「ここももう人はいなさそうだ」
ため息を吐き、汗で蒸れる首元をあおいで、片は次の街へと歩み出す。
早々に生きた人間のいる場所を見つけて、もう一度連絡を取らなくてはならない。
片は足を早め、廃れた熱砂の街をあとにした。
2013/02/13
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「年間の行方不明者の五分の一は、世界の端から落っこちてるんだよ。
おおかた足を滑らせたり、車で飛び出しちゃったりしたんだろうね。
突然地面がなくなって、すとんって落ちちゃうのさ。
え? 地球は円形だ? ああ、そのおとぎ話なら随分前に飽きちゃったよね。
あのさぁ、君はそれを見てきたの?
地面には果てがなくて、向こうとこっちがつながっていて、重力が等しくその足を地面につなぎ止めていてくれるって、そんな宗教じみたことを信じてるの?
今更オレオレ……振り込め詐欺だっけ? みたいなこと、日常茶飯事に起こってるんだから、もうそろそろ気づいてもいいんじゃない?
騙されてるんだよ。地球の周りには衛星があって、地球は太陽の周りをまわってる。
それと大きさの違う軌道で、水金地火木土天海冥……って今はクビになったんだっけ、冥王星。
まぁさておき、それらの惑星が同じように、時折近づきあいながら円を描いている。
地球は青くて、ほかの惑星よりかは遙かに生物が生きるのに適していて、ほかの惑星には生物がいない。
それは太陽との距離のせいで、寒すぎたり暑すぎたり、そもそも酸素がなかったりするから、って。
自分が見たこともないものを、さも真実のように話すのやめてくれないかな。
そういうのね、昔の自分を見てるみたいで腹が立つんだ。
君たちだって死後の世界は極楽浄土で仏様が迎えに来てくれてて、善人が救われるのだから悪人が救われるのはもっともだ、って真顔で語る奴を「変人だ」とののしるだろう。
イエスの肉がパンでワインが神の血だって恍惚を滲ませて語る奴を「変人だ」とののしるだろう。
君たちは宗教じみたものに洗脳されて、無意識のうちに宣教師になってることに気がつきやしないんだ。
きみたちは君たちと同じものを忌避しているのさ。あれ、これってつまり、同族嫌悪というやつだったりするのかな。
それならきみたちは、無意識に自分たちの過ちを思い知っているということになるね。
自覚しようよ。無意識から意識に引きずり上げよう。
おかしいと思わない? なんできみは、それを知ってるの?
昔の人間が魔女におびえたように、昔の人間が異国人をバケモノだとおもったり、その常識が間違えていることに、誰が気づかせたと思うの?
じゃあ今の常識が、なぜ正しいと知ってるの? もしも、もしも昔のようにただの妄言だったら?
いや、昔の方が正しかったらどうする?
情報リテラシーって言葉、知ってるだろう。
いくつもある真と偽をよりわけて、真を見極めなくちゃいけないって。
君たちの真は真じゃなくて偽なんだって。そもそも、前提がおかしいんだから。
よくやったでしょう、矛盾となるから、前提が間違っているということになる、っていう数式。
あれもよくわかんないんだけどさ。
とにかく……、そうだね、僕としては世界の果てがなくって、裏側につながってるなんて、そういう虚言はいい加減にしてほしいんだ。
だって事実、世界には果てがあって、その切れ目に人が落っこちてるんだから。
きれいに五分の一。証明して見せてって? 簡単だよ。
じゃあ、僕がかつて人間だったとき、落っこちたところにいこうか。
力一杯背中を押してあげる。大丈夫、運が良かったら帰ってこれるよ。
さ、行こう、世界の果てに。安心して。僕の、――カミサマの加護がついてる」
2013/02/16
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知ってる? 隣の奥さん旦那さんと別れたらしいわよ。
なんでも、奥さんが浮気したらしくて、それを知った旦那さんが浮気相手のところに殴り込みにいったんですって。
近所にも聞こえる怒鳴り声でね、娘さんの泣き声も聞こえたわ。
浮気相手の男はボコボコに殴られちゃって、顔面よ、顔面。すごい形相だったんですって。
かわいそうにね、娘さんはどちらに引き取られるのかしら。
ああ、昔はヤキモチやいちゃうくらい仲の良い夫婦だったのにね。人間って変わるものね。
ささやきごえが聞こえて私は後ろを振り向いた。
隣の家のおばさんが、近所のおばさんと井戸端会議にいそしんでいる。
私の視線に気づいたのか、ぱたりと声は聞こえなくなったが、心の中にわだかまった澱は消えない。
人は変わるもの。おばさんだって、昔は母さんと一緒に旅行にいったりしたものだ。
それが今じゃ、挨拶さえ交わさないほどよそよそしい有様になっている。
理由は簡単。私の母さんがおばさんの陰口を非難したから。
あらあら、よくまわるお口ですこと、少しはその回転を頭に持って行ってはいかが? なんていう皮肉とともに。
それ以来おばさんは私たち一家に関わろうとしなかったし、陰からコソコソ噂を流し始めるようになった。
その噂は虚偽ではないものの、針の穴をつつくような、誰も相手にしないほどくだらないネタだった。
むしろ、それをスクープのように語るおばさんの姿がおもしろくて話を聞く者もいたらしい。
しかし今回ばかりはそうはいかない。大スクープだ。他人の不幸は蜜の味。
瞬く間に私の周りにはささやき声という名のノイズが満ちた。
ああ、本当にうるさくて、視界を覆ってなにもみえない。
鼓膜の破れそうなほどたくさんのささやき声が折り重なって私に迫る。
いっそのこと殺してやろうか。なにをって、ささやき声の元凶をね。それから私も。
そしたら聴覚も視覚もなくなって、おばさんがいくらはしゃいだところで何も聞こえやしないの。
知ってる? 隣のご家族、一家心中したのよ。
なんでも、離婚調停で話し合ってるときに、娘さんがナイフ持って乗り込んできたんですって。
近所にも聞こえる怒鳴り声でね、ご両親の泣き声も聞こえたわ。
旦那さんはグチャグチャに刺されちゃって、顔面よ、顔面。すごい傷跡だったんですって。
弁護士が逃げ出すのも振り向かないで、奥さんを縛り付けちゃったらしいわ。
かわいそうにね、奥さんは娘さんと一緒に焼死。
ああ、昔はヤキモチやいちゃうくらい仲の良い家族だったのにね。人間って変わるものね。
2013/02/22
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最近、インターネットを中心に学生の間に流行している噂がある。
こっくりさん、猿夢――とにかく、数あるオカルト的な噂の中で、ひときわ事例の多いものだ。
それはヒトのカタチをしていて、それはヒトのコトバを使う。しかし決して人間ではない。
人間より上位のものを前にした時に湧き上がる畏怖。赤と青を持つ彼らは、萎縮した人間に語りかける。
「願いは、何だ?」と。
彼らは一切の書物にも載っていない、抹消された邪神だ。
嫌悪と罪悪感を司る二人の神は人間の願いを(どんなカタチであれ)叶えてくれる。
決して叶わぬ願いでも、叶える力を持っている。
ある者はこの噂を、ただの作り話だと罵った。真実だと頑なに譲らぬものは、直に自分がそれに会ったと主張した。
嘘か真かを確かめるために、噂を実行した者は悉く無駄足を踏んだ。
彼らは心の底からの望みしかきいてはくれない。真っ黒に煮詰まった願いしか聞き入れはしない。
何故なら、
「何故なら彼らは、嫌悪と罪悪感にまつわる願いが大好きだから――」
記事を読み終え、娯楽雑誌を閉じた青色の少年は、ニィと口の端を歪ませた。
風の吹き荒ぶ学校の屋上。青い少年と赤い男は、堅い床に寝そべって暇を潰していた。
手を離された雑誌は、風に嬲らればらばらとページをめくっていく。
「ねえ聞いてる?」
応えもせず惰眠を貪る赤色の男を見下ろし、少年は顔を顰めて雑誌を投げつけた。
顔面に雑誌が直撃し、男は漸く不機嫌そうに目を開く。
少年と同じ金色の目がのぞき、口元から溜息が零れた。
赤色の青年は手元の雑誌を開き、先ほどの続きを流し読みする。
「有名になったものだよね。全く」
頭上から降ってくる少年の声。身体を起こした少年が、男を見下ろして満足げに笑っていた。
「でもこの記事はよかったよ、歪曲が入ってない。一体、誰が書いたんだろうね」
「さぁな」
男はぶっきらぼうに答えながら、再び目を閉じる。
確かに一切の尾鰭がついているわけでも、不足があるわけでもない。事実のみが書かれていた。
しかし、それが正しいからといって、どうなるわけでもない。
自分達は自分達のやることをするだけなのだ。
男が雑誌から手を離したとき、ひときわ強い風が吹いて、雑誌をまるごと浚っていった。
もし真の願いを持ったとき、叶わない望みを抱いたとき、彼らに頼りたいと思うなら、最寄りの神社(神社ならどこでもいい、彼らは場所を気にしない)で、夕暮れ時(ただし時間にはうるさい)に、とある手続きを踏めばいい。
手続きというのは、手を一度叩いて呼びかけ、それを四度繰り返し、最後に願いを伝えることだ。
神社の鳥居の真下、娯楽雑誌を閉じた少女は赤いランドセルを抱きしめて、山に沈みゆく日を睨みつけた。
十分に低くなった日はだいだい色の光を惜しげもなくふりまいて、白い石段を仄かに染めている。
花柄のワンピースをまとった少女は、座り込んでいた木のそばから立ち上がり、神殿に向かって手を打った。
ぱちん、と頼りない音が風に掻き消える。
ひどくつよい風が吹く日だった。固く身を縮こまらせて、少女は声を振り絞る。
一字一句、間違えないように、慎重に。
「た、大封神様、大封神様、わたしの願いをおききください」
ぱちん、二度。ぱちん、三度。同じ文言を繰り返す少女の心は、不安と仄かな期待でいっぱいだ。
自分の願いは聞き入れてもらえるのだろうか。好いてもらえるだろうか。四度めの合掌。
「大封神様、大封神様、わたしの願いをきいてください。私の願いは……」
不安が頂点に達した少女の目から涙がこぼれ落ち、風にながされていく。
少し文言を間違えてしまったことにさえ気づかずに、少女は最後に叫んだ。心からの願いを。
「私の願いは、おかあさんを裏切ったおとうさんを――」
少女の声を遮るように木々がざわめく。
息を切らせた少女は、涙を絶えず流しながら、まっすぐに神殿を見つめた。
しばしの沈黙。
少女の心が諦めと絶望を感じたそのとき、カァン――と応えるような石段を打つ音が背後から聞こえた。
2013/02/23
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寝起きの太陽が光を撒き散らして、セカイにおはようを言う。
紺色の夜が白い朝を滲ませ、幾筋もの光がきらきらと朝露を輝かせた。
葉の上を滴る露は音もなく鳥の羽に落ち、驚いた鳥が飛び立っていく。
清涼な空気の満ちる午前五時。まどかは深く息を吸い込んで、出窓から身を乗り出した。
ベッドから毛布を引きずり、冷えた素足をすり合わせる。
時計の刻む音を背後に、ほうと息をこぼした。
時がたてば、この涼しさが嘘だったかのように蒸し暑くなる。
まるで夢を見ているような浮遊感。冴えた意識がそれでもこれは現実だとささやいた。
不意に目が覚めて、ベッドから抜け出した午後四時三十二分。
まだ濃紺ばかりの空に、引き寄せられるように窓を開けた。
それからしばらく、空はもう紺色を足下に残すほどになっている。
「涼しい」
「ほんと、ちょっと肌寒いくらい」
誰となしにつぶやいた言葉に聞き慣れた声が重なる。
まどかが振り向いた先に、ブランケットを羽織ったこなみが欠伸混じりに立っていた。
「こなくん、今日早いね」
「そりゃあ、たまには。まどかこそ早いね」
「……まぁ、たまにはね」
ぺたぺたと裸足で歩み寄り、こなみはまどかの横に肘をつく。
そよぐ風に髪が揺れ、欠伸で滲んだ涙がきらと光る。
残った眠気を振り払うように眼を擦ったこなみは、外を見たまま問いかけた。
「なに考えてたの」
「なにも、見てただけ」
それきりこなみは黙り込んで、まどかの横で空を眺めた。
電信柱に遮られた光が、その輪郭を浮かび上がらせる。
さえずる雀があちこちを飛び回り、二、三羽でかたまって何かを語っていた。
太陽に起こされたセカイがゆるやかに動き出す。ぽとりと電線から水滴が落ちた。
「あしたは見れるかな」
夢の中のような浮遊感の中、ふとかすめた思考。
日常の中に巧妙に隠されたそれが、じわりと滲んだ。
見慣れない色をしていたセカイが、だんだんと見慣れたものになっていく。
せめて「いつも」に戻る前に、
「……たまに、こわくなるんだ」
そう、とこなみは頷いた。
かたん。隣の老人が新聞を取る音がした。目の前の坂を朝練を控えた学生が駆けていく。
ぱたぱた走る足音が遠ざかれば、その後を追うようにバイクが通った。
いつも通りの朝。まどかは頬をパチリとたたいて窓を閉めた。
部屋に吹き込んでいた空気の流れが途絶え、揺れていたカーテンが垂れる。
階段に向かうこなみの背を呼び止め、まどかは笑いかけた。
「おはよう、」
2013/02/28
朝だよ
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