81.ピアス

ばちん、と頭の中を、弾くような激痛が駆け巡った。
固く閉じていた目を開き、満足げに笑みを浮かべる子供の姿を睨みつける。
「嘘つき野郎」
「心外だ、上手く丸め込まれただけの話だろう」
膝に乗せた小さな子供はスーツを着込み、年齢にそぐわない表情を浮かべる。
あらゆる意味で、外見は判断を鈍らせるものさ、と、いつかの子供は言った。
頭では分かっていても、どうにも子供に手玉にとられるのは気にくわない。例えそれが仮の姿だとしても。
有守は小さな身体をもちあげ、膝の上から退かした。
じんじんと疼く鈍痛が、呼気に合わせて頭に響く。耳朶にも血の通っていることを他人事のように思い知った。
「これで晴れて、アリスは僕のものだよ」
悪戯っ子のような笑顔。
そうだ、そういう意味で、有守はこの少年にピアスを空けることを承諾した。
嫌な気がしないのが、癪に障ると内心ごちて、舌打ちで照れを隠す。
「で、どうすんだよ。ほっとくと閉じるんだろ?」
「閉じる度にあけても、楽しいね」
「悪趣味だな」
「ありがとう」
耳朶に開いた穴をなぞりながら、有守はため息をついた。
そこは、例えば一緒にピアスを買いに行くとか、そういうことを言うもんだろうに、やっぱりコイツは少しイカレてる。
唇を尖らせて拗ねた有守に、少年は優しくその髪をなでつけた。
「そういう形も悪くないかなと思っただけさ、このままピアスで貫くと、まるでピアスに君を取られたような錯覚に陥るからね」
「……なんだそれ」
さて、と手を打ち、少年はシルクハットを取り出した。
中をわざとらしく弄る様子は、マジシャンか何かのようだ。
陳腐なかけ声と共に、シルクハットからひとつの包みを取り出す。
手渡されたそれをゆっくり開くと、白い薔薇を模したピアスが、きらきらと光っていた。
「これ……」

光にすかすと虹色に輝くそれを、子供は取り上げて有守の耳へとあてた。
「うん、似合う。これつけて、アリス」
「さっきからあんた、強引だな」
「当たり前だろう、漸く手に入った宝物なんだからね。かわいいmy dear」
額にくっついた唇は柔らかい、子供のものだ。
しかし、その眼差しは確かに彼の本性を映し出している。
みるみるうちに赤く染まる頬を手の甲で隠して、有守は呟いた。
「侮れねぇの……」

2012.12.08
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82.メイク

『にたにた笑う、道化のように。ステップ踏んで、おどけて笑う。
 子供の使う幼稚な筆を、べたりと頬に押し付けた。
 ふにゃりとたわむ筆先を、ぎゅっとまなこへ払ったならば、
 赤色雫が頬したたって、かわいいなみだのできあがり。
 なんのために鳴くのかしら、なんのために泣くのかしら?
 通りのおばさん喚きだし、驚くこどもは泣き叫ぶ。
 歩こう、通りをいちに、さんし。大きく手を振り、いちに、さんし。
 道化パレード、はじまるよ。赤青黄色、緑に黒白。
 いろとりどりの道化の行進。ちぐはぐ笑顔で、ちぐはぐポーズ。
 手を取り合って、いちに、さんし』

本を閉じれば祭りは終わる。なんともろい虚構のパレード。
窓を開け放ち、鬱蒼とした壁を見る。
頭上から"それ"は落ちてきて、ぐしゃりと地面へ潰れていった。
涙のメイクを頬に刻んで、狂った笑みを浮かべる道化。
屋根の上には狩人が、冷たい目をして見下ろしている。
ぱちりと目が合う、その瞬間に、もう道化は消えていた。

「死に化粧くらい綺麗にやってやれよ」
「生憎そこまで死体はきらいじゃない」
睨みつけると狩人は、飄々として笑みを浮かべた。
道化よりも遥かに歪んだ、自嘲に満ちたその笑顔。
勿論通りは静まり返って、道化の死体を誰も見ない。
見えていないのか、見ようとしないのか。それは分かったことじゃないけど。
ただ人知れず、死んでいった道化が哀れ哀れに思えてしまって、そんな自分にまた自嘲した。

なんのために鳴くのかしら、なんのために泣くのかしら?
誰も知らない道化の秘密。
それはくるしみ? それはかなしみ? それはよろこび? それは、

「……おそれ」

震える足を隠すように、ただひたすらににたにた笑う。
ステップ踏んで、おどけて笑う。
道化をつくった残酷な人。道化をころす残酷な人。
道化は涙をなみだでかくした。。

2012.12.13
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83.髪を切る

ひどいホワイトノイズが耳を侵す。世界を縦断する雨粒に、地が悲鳴をあげた。
水溜まりを踏みしめる革靴と、しとどに濡れた紺色の制服。
彼女は、先ほどより一寸さえも動くことをしなかった。耐えるように、絶えるように。
垂れ下がった両手は色を失い、唇は紫がかって、歯を突き立てられていた。
緩やかに開かれる瞳は絶望に濡れ、ただ虚空のはるかさきを見つめている。
あ、あ、もう、愛おしげに髪を撫でてくれた人はいない。突き刺さる事実に、ひくりと喉が鳴った。
押し寄せる悲嘆に怯え、駆け出し、転び、凹凸の在る坂道を往く。
アスファルトは膝の皮を捲り、僅かな救いすらも与えてくれなかった。
遠く立ち並ぶ民家は暗澹として、彼女の帰りを待っている。
さぁ――、と彼女を裂いた悲しみに、冷たい雫がただ唯一なぐさめるように頬を撫でた。

愛を忘るる為に髪を切る。Iを忘るる為に髪を切る。
細く長い濡羽色の黒糸を滴るのは、涙か、雨か。
逃げ込むように襖を閉め、ゆっくりとその場に崩折れる。
一旦溢れた嗚咽は止まらず、絶え間なく胸から空気を追いやっていった。
じわじわと湿る床、色の濃くなった壁をみて、湧き上がる罪悪感。
心とは反して、足は言うことをきかなかった。

噛み締めた歯の間から、浅い息が漏れる。
耐えられなかった、愛と心中すら考えるほどに、心臓が締め上げられた。
カバンを弄りハサミを握る。
まるで自傷するように、髪を引っ張り目を閉じて、彼女は刃と刃を合わせた。

じゃきり、と音が響いたとき、彼女は確かに死の音を聞いた。

2012.12.14
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84.お買い物

 十四時、決まって十四時に、買い物にいく足音を聞いていた。
1LDKの古びたアパートの天井を仰向けになったまま見つめる。
少し黄ばんだ天井は、よそよそしく俺を見下ろして、だんまりを決め込んでいた。
手首を縛る縄の所為でできた傷口に、畳の目が擦れて熱を持つ。
じわじわと思考を鈍麻させていく痛みをおいだそうと、どこか別の部屋で刻まれる時計の針の音に意識を集中させた。
辛うじて時間の経過を知る唯一の手段。
毎日十七時になると流れ出す放送から、丸一日時間を数え続けて、二十一回目のカチリと言う音がした。
だから、今は十四時をすこし過ぎたくらいだ。
四肢を覆う痛みと不潔感で眠れない苦痛は、こうやって数を数えることで紛らわせられた。

それからまた、数回時計が鳴る音を聞いて、柔らかな西日がカーテン越しに伝わってくるのを感じていた。
そのそばにあるちゃぶ台の上には、茶碗と幾つかのご飯粒、味噌汁の椀が散乱して、箸がその中央に突き立てられている。
申し訳程度に敷かれた布団は未だかつて使われたことはなく、ところどころに味噌汁の後が付着している。
他人事のように、自分の散らかしたそれを見やって、ごろりと寝返りをうった。
抵抗を続けていた日は遠く、はるか前のように思える。

決まって十四時に、あいつは出て行って、放送の鳴る頃に帰ってくる。つまり三時間、ひとりになる。
退屈でたまらない時間。
舌を噛みきって死にたくなる時間。
拘束され、衰弱し、言うことを訊かなくなった身体は、他人のものになったようだ。
あながち間違えてもいないその思考を自嘲する。
もうあいつがご飯をやらねば、買ってこなければ、この身体は意図も容易く餓死できる。
それだけではなく、ひとつ刃を突き立てれば、ひとつ気管をねじ上げれば、簡単に潰せてしまう。
いっそそうやって死ねたことの、どれほど幸せなことか。
自殺する勇気もない、臆病な自身は、与えられる苦痛と命を甘受するほかなかった。
あいつは明らかに一人分でない、更に二人分でない量を手に持って、ただいまと笑うのだ。
退屈な時間が終わって嬉しいのか、窮屈な時間が始まって悲しいのか。
それを明瞭に判断する自我なんて、とうの昔に磨耗して、使い物にならない。
日に日に痩せ細る俺を抱きしめて、明らかに許容量をこえた飯を、とめどなく押し込まれるのは、嗜虐なのか愛なのか。
あんまりに真っ直ぐに俺だけを見る目を見ていると、考えることすら馬鹿らしくなってしまった。

カラスが鳴くから帰る時間を、スピーカーがノイズを交えながら報せる。
カーテン越しに隠された空は、ただ深い青色だったが、なんとなくその向こう側が橙色だったことを覚えていた。
ガチャリ、とドアが開き、ただいまと声がする。
狭い1LDKのアパートの一室。
畳に頬を擦り付けたまま、俺はふと息をついた。

2012.12.14
2012.12.19修正
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85.タトゥ

姉の雪のような肌に傷ができた。

いつものように四畳半の和室に一人取り残され、満足に四肢すら動かせない状況で、天井だけを見ていた日。
手首に食い込んだ荒縄が皮膚を削って、ヒリヒリとした痛みを慢性的に与えてくる。
それが惰眠さえ貪ることを許さなくて、ただ気の狂いそうな退屈に身を捩った。
カーテンは閉じられ、時計は割られ、時間を知るものは唯一、夕方五時になると鳴りだす放送のみ。
いつかの姉は言った。時間にでさえも、弟である自分を渡すのは許さないと。
完全に体内時計は狂ってしまって、確かに良くも悪くも解放されている。
自分の全てを牛耳るのは、もはや自分でも時間でもなく、姉だけになっていた。
放送が鳴りだし、カラスが鳴くから帰る時間になった頃、ただいまぁ、と間延びした声が聞こえた。
ガサガサとビニル袋の中身が擦れ合う音と、裸足のペタペタという音が徐々に近づいてくる。
引き戸を開けた姉は、出かけたときと同じように横たわっている自分を見て、嬉しそうに笑った。
今日も友達は元気だった? とか、買い物くらいついてきてほしいな、とか、他愛もない明らかに「おかしい」会話を姉と交わす。
ペットボトルの飲み口が唇にあてがわれ、多分今日はじめての水を飲み込む。
意外と渇いていたらしい身体は、その救い手に歓喜し、みっともなく嚥下した。
あのねぇ、今日はね、シバルに見せたいものがあるの、今度シバルもわたしとおんなじようにしてもらおうね。
姉はそう言って、空になったペットボトルを後ろに放り投げる。
音を立てて床に転がったそれに見向きもしないで、姉はただ自分に笑顔を向けていた。
徐にセーラー服を脱ぎだした姉から目を背けて、衣擦れの音だけを耳にする。
ほら、と向けられた肩口には、くっきりと傷が刻まれていた。
カッターナイフでやったのであろう傷跡は、生々しい赤紫色のカサブタで覆われ、周囲の皮は僅かに突っ張っている。
そこに刻まれていたのは、他でもない自分の名前だった。
見せるだけ見せると、姉は恥ずかしそうに肩に服をかけてはにかむ。
ないしょね、ないしょ。
子供の頃のように微笑む姉を、どこか懐かしい気持ちで眺めていた。

いつのまにか西日は落ち、カーテン越しに感じられた日差しも冷たくなっている。
姉の着替えを待ちながら、俺はその白い背中に、半ば独り言のように話しかけていた。
「あのさ、あんまりさ、折角きれいなんだからさ、やめろよ、勿体ない」

姉は――くくるは何もいわずに、振り向いて破顔した。

2012.12.18
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