多分、それは薬物依存症のようなものなんだろう。
瞬間的に電撃が頭蓋を駆け巡り、痛覚の奥から快感を引き出してくる。
ラリったことなんてないから、その心地よさを比べるすべは、勿論ないけど。
ただ傷口から流れ出していく汚物を妄想し、新鮮な空気を吸い込む。
濁りきった脳漿が透きとおっていく。
「これで俺は正常だ」と嘆息する。
そう思うことが、もはや異常だと何度諭された?
異常なら、異常でいい。
心が波立ちさえしなければ、それでいい。
荒れ狂うバケモノを手なずけるには、もうこうするしかないのだと結論付けてしまった。
慣れた身体は、痛みに悦びさえ感じる。
びりっ、と皮膚の裂ける痛みは、心を引き裂く感触。
引き裂いてしまえばもう破るものなどないのだから、痛くもなんともない。
膿みを指で掻き出して、洗い流せばあとは自然に塞がるのを待つだけだ。
銀の刃をむき出しにして、血の気の失せた腕に宛がう。
すっと引けば産毛と皮膚の表面を掻くこそばゆさが、背筋を駆け上がった。
恐怖がないといえば、それは嘘になる。
震える呼吸と、高鳴る心拍はいつまでたってもおさまることを知らない。
息を止めて、刃がめり込むまで上から押さえ込む。
限界を迎えた表皮がぷつりと音を立てて端から裂けて行く。
歯の根が合わず、音を立てるが、内心は歓喜に満ち溢れていた。
「これで解放される、汚れた自分から」
力をこめたまま引いた軌跡は、ゆっくりと赤色に染まっていった。
自分を殺すことに依存するってのはバカな話だ。
自嘲したことは何度だってある。
でもそれでもやめられないのは、簡単だ。依存しているから。
違法か合法かってだけで、大体はおんなじ様なものだ。
「注射をして、自分を解放する」儀式と、「自分を殺して、自分を解放する」儀式。
誰かが言った戯言を盲信するわけでもないが、あながち間違いでもないように思えてならない。
白い腕を血が伝っていく。
その度に脈打つ腕は、まるでそこに心臓があるかのような錯覚を覚えさせる。
この心臓を切り、心の臓は残しておいた。
心の臓はこの心臓を修復し、また脈打たせる。
そして汚い自分は殺され、まともな自分に戻れるのだ。
多分、それは薬物依存症のようなものなんだろう。
瞬間的に怖気が背筋駆け巡り、恐怖の奥から悦びを引き出してくる。
ラリったことなんてないから、その安堵を比べるすべは、勿論ないけど。
ただ傷口から流れ出していく自分自身を妄想し、足りなくなった空気を吸い込む。
透きとおった液体で満たされていく脳。
「これで俺は正常だ」と嘆息する。
そう思うことが、もはや異常だと何度諭された?
異常なら、異常でいい。
依存していようと、なんだろうと、後悔なんてするはずもないから。
2012.11.06
back
桃色に色づいた唇を食む。
薄く開かれたその隙間から甘い吐息が零れ落ちた。
それだけで身体を離せば、固く閉ざされた瞼が開き、潤んだ瞳が顔を覗かせる。
「物足りない?」
顔を真っ赤にして、彼女は首を振った。
「だって、こんなの、夢みたいで。目をひらいたら、兄さんがいなくなってそうで、怖い」
そう、彼女は僕の妹。
夜な夜な僕の部屋に忍び込んでは僕の手の甲に口づけていた、愚かで従順な僕の妹。
両親が出かけ、僕たち以外には誰もいない家。
背徳感と期待に震える肩は滑稽で、それゆえに愛しい。
呼吸の触れ合うほど顔を近づけたら、妹はひゅっと息を呑んだ。
舌で唇を舐め上げて、鼻頭を甘噛みする。
強張った背筋に沿って指でなぞれば微かな悲鳴があがった。
「我慢しなくていいんだよ、誰も聞いてない」
「でも、」
彼女にとって願ってやまないこの状況、それなのに躊躇うのは、罪悪感とやらが邪魔をしてるからだろうか。
上気した頬を、熱い涙が伝っていく。
ふるふると頭を振って、恨めしげな視線を僕に向けた。
「でも、兄さん、私で遊んでる」
長年僕だけを見てきた妹には、もう既に全てバレていたらしい。
僕の愛は家族に対するそれに他ならない。妹のもつ恋愛感情ではない。
「でもそれで興奮してるんだろ」
思わず緩んだ口の端を隠しもせず、僕は妹の耳に囁きかけた。
「"こんなの"誰にも言えないね」
2012.11.08
back
瞼を閉じれば、スパークする視界。
追い立てるように私を苛むのは、伸ばされた手の軌跡。
私が振り払ったか弱い手は、力なく地面に落ちていく。
ぱっ、と散った赤はコンクリートの灰色に染みていった。
点滅し、揺らぐ思考。
真っ白になった自分の手が、そのヒトガタを覆い隠す。
心臓が爆発しそうなほど、うるさく喚いていた。
「わたし、わたし、ちがう……そんなつもり、」
誰に向かって弁明してるんだろう。
階下に集まる野次馬? 死んだかもしれない彼?
もしかしたら、生きているかもしれないというほぼ絶望的な可能性に縋って、携帯のキーを押した。
今でもあの光景が焼き付いている。
目を閉じ、沈黙に身を任せればフラッシュバックする忌まわしい過ち。
伸ばされたか弱い彼の手を払った私の白い手の向こうで、なぜ、と彼の表情が訴えかけていた。
裏切ったんじゃない!
弁明は自責を掻き立てるだけだった。
ならばいっそ、二度と私が彼を突き放さないように、この手に結びつけていよう。
誰にも分かたれないように、この指を絡めていよう。
ぱっ、とコンクリートに赤い花を咲かせた私の弟は、一ヶ月の沈黙の後、ゆっくりと目を開いた。
僅かな怯えが瞳の中に潜んでいたのは言うまでもない。
私が彼を裏切った、そう思われても仕方がないのだから。
今から私は、私の人生をかけた贖罪をしよう。
二度と離さない、私の弟。
手首にかけた手錠も、足首とベッドに括り付けたロープも、全て贖罪のため。
「ごはんの時間だよ」
まだ怯えたままの私の弟は、いつになったら私を許してくれるんだろう。
熱いお粥に息を吹きかけて、口に差し出す。
「姉さん、もう、やめ」
ぎゅっと縛り上げた首輪が、彼の気管を圧迫したようだった。
「食事中は喋らない」
甘やかすばかりがいいことではない。
食事をとらないのもいいことではない。
躾ばかりはキチンとしないと、弟のためにならないから。
苦しそうに顔を歪める彼に同情しながら、甘い心を叩き潰した。
私にはもう弟しかいない。
こうやって傍においておかないと、だってまたあの赤に横たわる弟が見えてしまうから。
2012.11.13
back
白い雲がゆったりと進んで行く。
時折その隙間から顔を覗かせる陽光が、暖かく樹木を照らした。
斑に影を落とす葉の陰では、鳥達が羽を休めて寄り添っている。
穏やかな山の様相を見下ろして、青い鳥がその上を飛び去っていった。
囁き声にもにた羽ばたきの音。
だれも鳥を顧みることもなく、鳥もまたそうだった。
一心に太陽の差す方向へと羽を動かす。
ぬくもりが優しく小鳥の頬を撫でていた。
森の緑は徐々に目減りし、住宅街へと差し掛かる。
電線と踊るように、小鳥は旋回した。
ひときわ高い高等学校の校舎が見える。
そのグラウンドは授業に勤しむ子供たちの声で賑わっている。
ひら、と青い羽根が一枚、舞い降ちた。
校舎をこえて人も疎らな通りに、一人の少年が歩いていた。
小鳥は少年の頭上で鳴きながら高度を下げていく。
空を仰ぎ見る少年は、小鳥を手の上へと迎え入れた。
「おかえり」
彼の優しい声にチッとひと鳴きし、小鳥は掌に擦り寄った。
小さく震えたその身体は、白い粒子に包まれ、一人の少女の姿に変わる。
長い空色の髪を靡かせて、彼女は彼に微笑みかけた。
「ただいま」
2012.11.14
back
ジャンプして私は彼のくびもとに飛びついた。
頬を擦り寄せると、くすぐったそうに身を捩りながら、満更でもないように、お兄ちゃんは私の体を抱え上げる。
私二人分もある身長のお兄ちゃんが立ち上がると、ぐんと視界が高くなった。
逞しい腕ががっしりと私の体を支えて、そのままゆっくり歩を進める。
友達の家でみたアニメを思い出して、私はロボットの操縦士になったようにお兄ちゃんの腕を叩いた。
「がしゃーん! まわれ、みぎー」
「はいはい」
突然始まったごっこ遊びに、面倒くさそうにお兄ちゃんは付き合ってくれる。
笑いながら、お兄ちゃんはロボットらしく後ろを向く。
目の前の棚にあった大きなぬいぐるみを指さして、私は大声をあげた。
「敵はっけん! 魔王です! ただちにこうげきします!」
ポチポチと指先で肩や手の甲をつつく。
お兄ちゃんは棚からぬいぐるみを下ろして、律儀に動き回ってくれた。
効果音を口に出して、ぬいぐるみを後ろへ突っぱねる。
「やったぁ!」
「何やってんの、あんた、」
丁度魔王を倒したとき、お母さんが台所から顔を覗かせた。
「ごめんねぇ、うちの子が迷惑かけたでしょう」
「いえ、そんな」
私のお母さんは、お兄ちゃんの肩をたたいて笑ってみせる。
お兄ちゃんは遠慮がちに俯いて、私を下ろそうとした。
「夕飯の手伝い、します」
「あら、ありがとう」
その途端、私はかっとなってお兄ちゃんの頬をひっぱたいて腕から強引に逃れた。
加減を知らない子供のびんたに、お兄ちゃんの頬は赤く染まり、お母さんは大声で怒鳴った。
聞こえていない振りをして、部屋を飛び出す。
なぜだかわからないが、お母さんに負けた気がした。
腹立ち紛れにぬいぐるみを蹴り、寝室の押し入れに隠れる。
何に対してかはわからないけれど、仕返しのつもりだった。
少し困ってしまえばいい。幼稚な反抗だった。
しかし、待てど暮らせど私を探すような素振りは見られない。
時折きこえるお母さんと、お兄ちゃんのお母さんの笑い声がきにくわなかった。
段々むなしくなって、まなじりに涙が浮かぶ。
わたしがいなくても、どうでもいいんだ。
そのとき、ガラリと戸が開いた。
「見つけた、こんなトコおったらあかんで。おばけにつれていかれる」
少しトゲトゲしたお兄ちゃんの声に、肩が萎縮し涙腺が決壊した。
「ごめんなさい」
「いいよ、いこう。ごはんやで」
ぐぅとお腹がなる。
私は恥ずかしくなって顔を隠したが、お兄ちゃんはふきだして笑った。
「あはは、お腹空いたか。からあげ好きか?」
「うんっ、わたし、お兄ちゃんとからあげおんなじ位大好き!」
「喜んでいいのかな、これ」
お兄ちゃんはそういって、私の頭を撫でた。
2012.11.15
back