滑らかなタオル生地に顔を埋めて眠り、滑らかなタオル生地から顔をあげて起きる。
僕の大切にしているぬいぐるみは、幼い頃、幼稚園くらいの頃に両親に買ってもらったものだ。
いるかの形をしたそれは、幼い僕が抱いて眠るのに丁度よくて、毎晩布団の中へ連れては一緒に寝ていた。
「るぅ」と名前を呼んで、おはようとおやすみは欠かさなかった。
ずっと一緒に、夢を旅してきたぬいぐるみ。
高校生になった今、少し黄ばんでしまったるぅを、僕はまだ大切にしている。
ほつれた部分は拙い裁縫で縫い直し、時折掃除機で身体を掃除する。
いい加減ボロボロになってきていて、流石に洗濯機にかけようとは思わない。
もしそれで、るぅがいなくなったら、きっと夜は寒くて寂しいんだろう。
僕の身体より随分と小さくなったそれを抱いて、僕はまた目を閉じた。
足元はふかふかの綿、桃色の空には星がちりばめられて、次々に地面へと落ちていく。
ファンシーな世界の中で目を覚ますと、僕は目の前にぬいぐるみの山を見つけた。
色とりどりの熊や兎、ねこ、鳥、さまざまな新しいぬいぐるみの中、一つだけ古いいるかのぬいぐるみ。
僕は迷わずにるぅの元に駆け寄って、その身体を抱き上げる。
ふわっといつもの匂いがして、思わず眠気を覚えた。
「るぅ、おやすみ」
ぬいぐるみの山に身体を預けて、欠伸をする。
るぅを強く抱きしめて夢の中に落ちようとする僕を、誰かが引きとめた。
むぎゅっと頬を抓られる。痛いことは全然ないのだけれど、その感触が指ではなかったのでふと目を開ける。
るぅが目の前で僕を真っ直ぐに見つめながら、いるかの可愛い手で頬を摘んでいた。
「え、るぅ?」
思わず零れた間抜けな声に、心地よい眠気が飛んでいく。
「どうしたんだい?」
ぬいぐるみが動くなんておかしいはずなのに、ここでは普通なんだと僕の頭が言う。
だから普段どおりに話しかけてから、僕はぬいぐるみの山から身体を起こした。
るぅはただ僕を愛玩のように触りつくして、変わらない表情で僕の首にだきついた。
タオル生地の冷たい感触が、すりすりと首筋を擦った。
その挙動はまるで、僕がいつもるぅにしている事のようで、嬉しさと愛しさが胸に溢れかえる。
そして、もしかしたら、と可能性に行き当たった。
もしかしたら、ここはぬいぐるみの世界なのかもしれない。
此処では僕が玩具のようなもので、るぅは僕を選んで今の今まで愛してくれたのかもしれない。
僕がるぅを選んで今の今まで愛でていたように、るぅも僕を選んでくれたんだ!
歓喜して、僕は思わずその身体を抱きしめようとした。
でも思うように身体は動かなくて、ああ、僕は玩具なんだったと改めて思い至る。
るぅ、だいすき。だいすき。
願うことなら、僕の世界でのるぅも、僕の様に僕を好きでいてくれたらいいな。
再び訪れた眠気に身を任せて、僕は目を閉じた。
いつも通りの朝、目覚まし時計にたたき起こされて、重い頭を持ち上げる。
腕の中で眠ってるるぅは、今度こそ微動だにしなくて、でも僕はるぅの頭をなでて笑いかけた。
「おはよう、だいすきだよ」
2012.10.11
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靴箱に整えられた一足の上履き。
そのうちの真新しい方へ、丁寧に折りたたんだ手紙を忍ばせる。
毎朝の日課になっているそれは、私が彼と始めた文通だった。
今日び彼氏彼女の主な連絡手段といえば、携帯電話のメールだろう。
私たちがそれをしないのは、偏に特別でありたいという、ただそれだけのことだった。
紙を開き、ペンを選び、一筆一筆に感情を込める。
その筆圧、文字の形、ペンの色……書き損じの訂正、どれもこれもが私たちにとっての思い出になる。
膨大なデータに流されていくことも、跡形もなく消えてしまうこともない。
私たちの愛し合っていた証が(たとえこれから別れることになっていたとしても)、確かに手元に残ってくれる。
教室に入って、友人からのメールを見る。
「遅刻しそう!」という文字に、泣き顔の絵文字がくるくると動いていた。
「頑張れ」と送信して、携帯電話を閉じる。
誰もいない一人きりの教室に、朝日が差し込む。
早朝に彼への手紙を渡したいがために、毎日私は一番乗りだった。
冬と夏のは様の、暖かいような、寒いような日の光に次第にうとうとと意識が微睡む。
私は彼が教室に入ってきて、手紙を読んでいるその横顔を見るのが大好きなのに。
そしてこちらを振り向いて、照れたように微笑みかけてくれるのが大好きなのに。
ガラリと教室の扉の開く音に目を開ければ、いつも二番目に登校してくる彼が、手紙をもって自分の席についていた。
無音の教室に紙の擦れるノイズが混じる。耳に心地よいノイズ。
少し逞しい背中を見つめながら、私は彼が振り向くのを今か今かと待っていた。
彼がメモ帳を取り出し、滑らかに文字を書き込んでいく。
静かに席を立ち、私の目の前に歩み寄ってきた。
枯れは、「おはよう、少し眠たそうだね」と書かれた紙を差し出して、一つ前の椅子に座る。
間近で見た彼の髪の毛はきらきらしていて、朝日を反射しては様々に色を変えた。
私も机の中からメモ帳を取り出して、机上に広げる。
桃色のペンを選んで、癖のある丸字で返事を書いた。
「ちょっと昨日、面白いドラマを見てたの。恋愛ものなんだけど」
「どんなのだったの?」
「長くなっちゃうんだけど、でもまってくれる?」
「もちろん」
普通の会話のように紙に文字を書き込み続ける。
私はシャープペンシルに持ち替えて、昨日のドラマを思い出しながらあらすじを書いた。
「街の中で、女の子が不良の男の子に会うの。口の利けない女の子を襲う悪い男達から助けて、名前も告げずに去っていってしまうのね。
だけど、女の子はその男の子に惚れてしまって、必死で彼を探して、見つけ出して、好意を伝えるの。
男の子も最初は邪険にしていたけど、段々文通するうちに、仲良くなって……それで結ばれるお話」
カリカリとペンを走らせる音ばかりが教室に響き渡る。教室中が喧騒で満ちてしまう前に、私は彼とお話がしたかった。
「それってさ」彼が躊躇いながら文字を綴った。
その頬は少し赤く染まっていて、思わず微笑みが零れる。
「うん、私たちみたいでしょう」
私達は口の利けないカップルだった。
私の落し物(大切な桃色のペン)を手渡して、何も言わずに去っていった彼。
私は彼も口が利けないなんて知らずに、でもその優しさに恋に落ちた。
学校中を歩き回って探し歩いて、私はついに彼を見つけた。
私の好意は通じて、こうしてお付き合いをしているけれど、それは誰にも言ったことがない。
まるで秘密にしているような感覚が、こうやって早朝の逢瀬と文通をうみだした。
放課後までに彼が私の靴箱に手紙を隠す。
私はその手紙の返事を、早朝、彼の靴箱に入れるのだ。
ささやかすぎることかもしれないけれど、私達たちにとって、それは手を繋ぐこと、キスをすることと同じくらい幸せなことだった。
「手紙の返事、楽しみにしてる」
「期待しないでよ、恥ずかしいから」
はにかんで、彼は私の掌を握った。まだ人は来ない。
「あとすこしだけ」
私は心の中で神様にそうお願いして、彼と口付けをした。
2012.10.16
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静かな森の中に一発の銃声が響き渡りました。鳥達は驚いて木々から飛立ち、四方へと散っていきます。
一時騒然とした森は、それでもすぐに落ち着きを取り戻し、普段の姿を見せました。
再び静まり返った森の一角で、ベージュの頭巾を斑に赤く染め、息荒く立ち尽くしている少女がおりました。
少女の手には一つの猟銃が握られていて、その足元には血まみれになった狼が、苦しげに呻いています。
人を射殺せそうなその眼光は、少女の恐怖を掻き立てました。
ガァン! ガァン! と二発、続けざまに銃弾が狼の身体を貫き、ついには狼はピクリとも動かなくなりました。
少女は銃を抱えたまま、二、三歩よろめいて、血だまりのなかに座り込みます。
彼女には、もうなにがなんだか分かりませんでした。
ただ病気の祖母に、ワインとパンの入ったバスケットを届けるように頼まれて、幼い頃から愛用していた頭巾を被って、護身用の猟銃を持たされて……、それだけのはずでした。
少女は母親の言いつけをしっかりと守り、一切の誘惑を断って、道を急いでいたはずだったのです。
痺れを切らした狼が、少女に襲いかかろうとしたとき、一つの銃弾が狼を吹き飛ばしました。
少女は恐怖のあまり、狼から身を守るために猟銃を目の前に突き出そうとしました。
しかし、引き金を引いていないのです。では、だれが狼を撃ち殺したのでしょうか?
何せ……、銃弾は三発も発砲されました。誰かが音に気づいてやってきて、この状況を誤解しないとも限りません。
笑う膝をぴしゃりと叩いて、少女は立ち上がります。
「私がやったんじゃないのに、私の所為になっちゃう!」
一目散に走り出した少女は、おばあさんの家に向かうのも忘れ、あたりに転がる石を集め始めました。
狼とはいえ、命を奪うことはいけないことです。
少女はそれを知られるのを恐れ、狼の身体に医師を詰め込みました。
ぎちり、ぎちりと傷口に指をねじ込んで、一つ一つ石を放り込みました。
拾った石を全て入れ終わったときには、狼の身体はいっぱいになり、入りきらなくなっていました。
少女は満足し、傷口を抑え込んで狼を池へと引き摺っていきます。
沈めてしまえば、誰が殺したのかなんて分かりっこありません。
ぼちゃん、と落ちた狼の死骸は泡を立てながら見えなくなっておきます。
くらいくらい水のそこに消えていくのを見送って、少女はようやく自らの頭巾が真っ赤になっていることに気づきました。
「大切なずきんが汚れちゃった……」
水面に映った自分の顔は、血と泥で汚れて目も当てられません。
少女は池の水を掌で救うと、汚れを丁寧に拭っていきました。
ぬれたところは、バスケットを覆っていたテーブルクロスでふき取って完成です。
ある程度きれいになってから、少女は頭巾を手にとって暫く迷いました。
「捨ててしまったほうがいいかしら」
頭巾は少女にとって大切なものです。誤魔化せるなら誤魔化したいと考えていたのでした。
そのとき、ふと少女の目の前に、一人の猟師が現れました。
猟師は、座り込んでいる少女を見つけ、ここは狼が出るから危ないと教えに来てくれたのです。
「ええ、すぐに行きます。でも頭巾が」
「ああ、汚れちゃったのかい、それなら大丈夫さ」
猟師は優しそうに微笑んで少女の頭を撫でました。
ガァン!
静かな森の中に一発の銃声が響き渡ります。鳥達は驚いて木々から飛立ち、四方へと散っていきました。
一時騒然とした森は、それでもすぐに落ち着きを取り戻し、普段の姿を見せます。
再び静まり返った森の一角で、真っ赤な頭巾を被ったまま、銃で撃たれ事切れている少女がおりました。
周囲には誰の姿もなく、彼女の使ったらしい一つの猟銃と血みどろのテーブルクロスが無残に散らばっていました。
おしまい。
2012.10.17
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もしも世界から音が消えてしまうなら
僕は心でうたをうたおう
もしも世界から言葉が消えてしまうなら
僕は心をうたでうたおう
ピアノの伴奏が終わり、僕は大きく息を吐いた。
どうにも上手くいかない。ピアノの前に座るこなくんと顔を見合わせて、肩を竦める。
一ヶ月前、こなみの師匠が僕たちにくれたうた。
「きっと二人なら、心底わかるうただよ」
師匠はそう笑って僕たちに楽譜を渡した。
久しぶりの三連休だから、今日こそは形になるくらいまでは、と意気込んでいたのに。
どこかズレているような違和感が拭えなかった。
技術的な部分ではきっと上達してきているのだろう。
でも、何かが、違和感としてわだかまっていた。
今回ばかりはこなくんも頭を抱えているらしくて、ただうたうことだけが僕たちにできることだった。
「調子はどうだ?」
と防音室を覗きにきた師匠は(たまにテレビCMで見る顔で、ドキリとする)悩みあぐねている僕らに笑みを零した。
一度うたってみることを促され、僕は歌う。こなくんも緊張しながらピアノを演奏した。
一通りが終わって師匠が言ったことは、ただひとつ。
「感情だな」
その言葉の意味することが分からなくて、首を傾げる僕に師匠は訊いた。
「ベクトル、って分かるか?」
「方向性のことですよね、でも感情のベクトルって一体」
師匠はこなみに手招きをして、目の前に座らせる。
先生の講義をきいているような錯覚を覚えた。
師匠曰く、まどかは歌える喜び、楽しみ、幸せをうたのある世界からうたっている。
対してこなみは、うたのない世界から、うたを歌う決意、信念を演奏していた。
「こなみは少しネガティブだからな」
「確かに」
手を叩いた僕を、こなくんが睨みつける。
「うたがなかったら、ってのは一切考えるなよ。どうあってもあるもんだ。なんたって、お前がうたうんだからな?」
笑い飛ばしてこなくんの頭を撫でる師匠に、こなくんははにかんで頷いた。
ぽろん、ぽろんとピアノをうたわせながら、僕はそのメロディに載せて精一杯の心を込める。
今まではすれ違ったベクトルが不協和音を奏でていた。
でもそれを重ね合わせたうたを、これから僕たちはうたうのだ。
精一杯に空気を吸い込んで、心からのうたを。
2012.10.17
back
罅割れた指先で表皮を触る。
ザラついたそれは傷口を引っ掛けて、時折刺すような痛みを与えた。
指先が痺れる度に、ピクリと肩がゆれ、息が詰まる。
上から下へ、息を吐きながら舐めるようにゆっくりと撫でていく。
さわさわと囁く聲が、まるで刺激に反応しているようだ。
聴覚、触覚、嗅覚全てを駆使して、俺のものにするべく手を伸ばした。
人差し指を這わせて声を訊く。
彼女と俺は、今だけ愛し合うのだ。
ここがイイ? ここはダメ?
彼女の知っていることも知らないことも、全てを明らかにして目の前に曝け出していく。
恥ずかしそうに身体をしならせて覆い隠そうとしても、彼女の腕はあまりに細くて意味を為さない。
腰を撫で回していた掌を下肢へと滑らせていく。
何度かのふくらみののち、君の"根元"にたどり着いた。
ドクリと脈打つ彼女を錯覚し、どうしようもなく興奮する。
飲み込んだ唾はねっとりとしていた。
君の一番大事なのは? きっとこの先にあるんだろ?
手の届かない場所まで揶揄すると、声を掻き消すように叫ぶ君。
あと少し、その中さえみてしまえば、俺は君の全てを手に入れることが出来る。
思い切って肌を引っ掻いた指先が、ぱっくりと割れた。
掌を伝う赤を君の肌に塗りつける。
汚している感覚に、背筋が粟立った。
ああ、もうすこし!
ふかくふかく、ゆびをもぐりこませて
「でさ、お前は木相手になにヤッてんの」
「少しベンキョー」
「なんかやらしいぞ、手つきが、キモ」
「酷い言い草、そっちがやらしー頭してんじゃねえの?」
俺は木から身体をはなして、広げっぱなしのキャンバスの元に戻っていった。
2012.10.18
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