46.キズナ

腕に赤く走る蚯蚓張れが疼く。
じわじわと傷口から燃え上がる炎は、眠りから覚めた頭を刺激し始めた。
夜が明けて間もなく、まだ鳥も鳴き始めた早朝。
痛みによって冴えた頭は、もう一度眠ることを良しとしなかった。
体は汗ばんで、衣服の肌に張り付く感覚が不快だった。
早々に濡らしたタオルで汗を拭き取り、服を着替える。
落ち着いたところで、昨日の口論が脳裏によみがえった。
弄んだ腹いせと言わんばかりに引っかかれた腕の傷が、赤く腫れ上がっている。
「命の代償がこれじゃ、お前がうかばれんじゃん」
不服を零したところで、昨日の惨事はもう取り消せないのだ。

きっかけはほんの少しの悪戯心だった。十五年ぶりの同窓会で再開した悪友。
酒の勢いで、普段溜まっている鬱憤をぶちまけたのが始まりだった。
「恋人が嫉妬深くて仕方ない」
確かそう始めたように思う。
最初こそ贅沢な悩みだなんだと文句を言われたが、次第に悪友は顔を青ざめるようになった。
「異性と触れ合うと一時間の説教、百回の愛してるの刑」

これはまだ序の口だ。
「異性の半数を占める場所に行ったら、三日の禁固刑、勿論会社は休まなければいけない」
このあたりから、人が集まりだした。
「異性を視界の中に入れたら、泣き喚いて自傷する」
大分省略しながら説明すると、会場はしんと静まり返って、話に聞き入っていた。
「それって所謂、メンヘラじゃ」
ある女性が呟いた。
それを引き金に、ザワザワと好奇な喧騒が広まっていく。
親しかった友人はしきりに別れることをすすめるが、そううまくいかないことは分かっていた。
「駄目だよ、だってそんなことしたら、相手死んじゃうよ」
「うわぁ、間接的な人殺しとか勘弁……」
「でも勝手に死んでろ、じゃん?」
「そこまで割り切れないって」
「別れるつもり、ないよ」
ざわめきを抑えながら、なるべく温和に過ごしたいことを告げる。
「そもそも、そんだけ依存されたら、最終的にどうなるのか見ものじゃんね」
全員の好奇心を煽るように言ってやると、たちまち辺りは諦めたような、納得させられたように静まっていった。
どうせお前らも気になるだけじゃん?と思ったのは内緒にしておく。
そもそも、同窓会に参加したのだってもうアウトなんだから。
まず異性と話した。
次に異性と握手した。
更に男女比は一緒だから、自分を除いて異性の方が多い。
視界にその全ての異性が含まれているのは言うまでもない。

今ここにきたのは、勿論、相手を殺すためだ。
泣き喚いて、恨んで、嫉妬して死ねばいいとおもったからだ。
メンヘラ? まぁそうジャンル分けをするならそうなんだろう。
ただ別に、相手が鬱陶しいから死ねばいいと思った訳じゃない。
寧ろその逆だ。自分でいっぱいになって息絶える。最高の最期だと思わないか?
そこまで語るときっと「メンヘラ」扱いだっただろうから、誰にも話したことは無い。
結局、二人を繋いでいたキズナってやつは、ただの傷の舐め合いなんだ。
それは分かり切っていたが、だからといって止める気もなかった。
精々あと少しのキズナに全てを捧げようと、酒を呷った。

文字通り死ぬほど嫉妬させるために。

2012.09.13
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47.コンプレックス

「身長がさぁ、160こえてんのにさぁ、もっと欲しいとかいう奴は滅びないかな」
「いきなり物騒なこというね」
突然つぶやかれた恨みがましいまどかの声に、こなみは思わずペンを滑らせた。
楽譜に引かれた赤色の縦線をみて、頭を抱える。
ようやく佳境を乗り越えたと言うのに、これではまたやり直しだ。
まどかはそんなこなみの落胆には気づかずに(もしかしたら態と気づいてない振りをしているのかもしれないが)、堰の切れたように話し続ける。
最も、言わずもがなといった、まぁようするに、見たら分かるレベルの内容ではあったが。
まどかは健全な男子高校生であるのに、身長が152cmしかない。
これから伸びるのだと豪語しているが、今のところ兆しすら見えないから、きっと手遅れだと思う。
それを言うと人でも殺しそうな目で睨んでくるから言わない。
まどかが言うに、想い人との身長差がありすぎて、兄弟と間違えられるらしい。
こなみにすれば、それはただの惚気だ。想い人に気にしてすら貰えない自分は一体、という気分になるのも何度目だろう。
まどかは身長であったが、なにもコンプレックスは、まどかだけにあるものじゃない。
問題はこなみにだって多大にあった。
身長は178、体型も普通だ。顔も悪くはない、と思う。
ただ、こなみは自覚と無自覚が入り混じるくらいひねくれた性格をしていた。
持って生まれた性格かは分かりたくもないが、少なくとも自傷に走る男に惚れる人間はいないだろう。
こなみにとってのコンプレックスというのは、正にそれだった。
時折訪れる制御しきれない感情の波、真っ白に塗りつぶされた頭が、どうにか色を見いだそうと線を引く。
ぱっと痛みに裂かれたようにして、理性が息を吹き返すのだ。
生き返った理性は、自分の行動を理解し自己嫌悪する。
他の解決策もみつからない。もしかしたら見つけようともしてないのかもしれない。
どちらにせよ、自分で自分を傷つけたという馬鹿らしい事実だけが後に残るのだ。
死にたい訳じゃない、寧ろ、自分が死んでしまわないためにやるといっても差し支えない。
長袖で隠した傷がふと疼く。
そんなことより、かわいい従兄弟の相談に乗ってやらねばならなかった。
「身長は小さい方がいいだろ? 女装しても違和感ないしさ」
「やだやめてよ、ゆーくんはそんな趣味ない!」
「でもやっぱり、男の性なんだから、女らしい方が良いんじゃないの?」
「う……」
からかうような口調でいってやれば、言葉に詰まってまどかは押し黙った。
ただの意地悪だ。同性を好きになる以上、そこに女らしいだとか男らしいだとかいう概念はとうに越えている。
まぁ想いを告げたのはまどからしいが……無理をして付き合う価値もないだろう。
つまり、それだけまどか自身が愛されてるということだ。
「全く、羨ましい限りだよ」
嘆息混じりにこぼれた嫉妬は、誰にも届かないで落ちた。

本当に救いようがない。
想い人は、だって同性の君が好きなんだから。
こなみのコンプレックスというのは言ってみれば、まどかであり、性格であり、行動であり、性別であった。
それでも諦められないのも、偏にこなみが相手を愛しているからなのだろうと、彼は理性に言い聞かせた。

2012.09.14
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48.拒絶

「もう駄目だ、一緒にはいられない」
そんな置き手紙とともに彼が消えたのは、数日前だった。
寝起きの瞼を擦っても文面が変わるわけがなく、結局朝の支度をすべて終えたときになって、あぁ、私は振られたのかと腑に落ちた。
思い出そうとすれば、いくらでも前兆はあった。
作ったご飯を食べなくなった、返事がぎこちなくなった、私の目を見なくなった。数えればキリがない。
私はそのすべてに気づいていたくせに、気づかないふりをしていた。
女々しさが祟って、こんな最悪の終わりを迎えた……きっとそんな流れだったんだろう。
一人取り残された狭いアパートががらんどうに私を見つめる。
ごっそりと感情が抜き取られた錯覚さえ覚えた。
おもむろに携帯を取り出し、駄目で元々、彼へのコールを鳴らす。彼は応えなかった。
いよいよ実感が波となって押し寄せる。私はそれからすぐに、アパートを後にした。
「嫌いになったなら、最後に声を聴かせて」
と書き残して。

一週間が過ぎた頃、携帯が彼専用の音楽で鳴りだした。
私は震える手で携帯を掴み、耳に当てる。
「あの、もしもし?」
「今どこ?」
「私……? 実家……ねぇ、なんで突然いなくなっちゃったの? ううん、それは今はいいや、元気? ちゃんとご飯食べてる?」
「オカンみたいだな」
彼は電話の向こうで笑いを零した。これだけなら、今までの私たちみたいで、ふと幸せの残像に後ろ髪を引かれる。
「ん、ごめんなさい、もう関係ないんだっけ……声、聴かせてくれて、ありがとう……」
「あのさ、」
未練を断ち切るように、私は電源ボタンを押そうと、受話器から耳を離した。
遠くなった彼の声が未練を引き止める。
切らなくては、また付き合えないか? なんてすがりついてしまいそうだった。
だが、その決意はすぐに霧散する。
「嫌いになったんじゃない」

彼のその一言に、私の頭は真っ白になった。
「どういうこと?」
「……幸せに、したかったから」
歯切れ悪く、彼は言葉を紡ぐ。私にはその真意が読み取れなかった。
私は彼を愛していたんだから、彼と離れて幸せだなんてことは、有り得ない。
「うそ、あなたがいなくなって、凄く不幸だった。わたし」
「ごめん、ごめん、でも、傷つけたくなかったんだ」
「傷ついたわ、十二分に」
「ごめん、間違えてたんだ。俺が怖かった。君が"好きすぎて"、"どうにかしてしまいそうだった"。閉じ込めて、俺のものにしたくなった。でもそれは君が望んだことじゃないから、だから別れたほうがいいと思ったんだ。でも結局、君を悲しませた」
懺悔のような彼の言葉に、私はただ耳を澄ます。愛情に満ちた声に、涙が溢れた。
憎らしいほどに、彼が愛おしくなった。
泣いてることを悟られまいと息を吐く。
「そんなに私がすきなら、どうにかしてみてよ、男でしょ」
彼の息を呑む音が聞こえた。はあっと漏れた息、頬をぱらぱらと涙が濡らした。
「本当に? 本当にいいのかい?」
「当たり前よ、……結婚したい、あなたと、ずっとそう思ってたんだから! だから、置いて行かれて、悲しかった……。閉じ込めてみせてよ……離れられなくして……」
思わず泣き崩れた私の背に、ふわりとパーカーが掛けられた。
懐かしいアパートの匂いに、顔を俯ける。
泣きじゃくった顔はあんまり可愛くないだろうから。
「俺のになって、一生一緒にいよう」

2012.09.15
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49.さみしい

一人部屋のなかで膝を抱える。だれも居ない。
カタ、カタと秒針の進む音だけが鳴っている。
電気は点かず、ただ湿った雨に反射した蛍光灯が窓から差し込んでいた。
時折聞こえる虫の声が彼の穿たれた心を抉る。
胸が締め付けられる。息が詰まってこめかみが傷んだ。
空疎な部屋はだだ広く、冷えた空気が肌に染みる。
握り締めた携帯は沈黙を続け、ただひたすらにいなくなった彼女を想った。
空が唸りをあげる。雷鳴が激しくなり、街灯が点滅した。
誰も訪れない部屋にひとり。
何を食べるでもなく、何をするでもなく、ただ座り込んで来ない電話を待っている。
三日前から止まったままの彼の時間は、もう動き出すことはない。

だって彼女は死んでしまったんだ。
過去の詩人は「死人は星になった」とほざいた。
空は暗い、おぼろげに見える月が一つ浮かんでいるだけだ。
都会の空に星は見えないのだ。
彼女に見放された世界でどうして生きていけようか?
後を追うことすら許されないのは恐怖のせいか?
彼女の母の言葉が頚木になったまま、彼を放そうとしなかった。
「あの子の分まで幸せに」
なれるはずがないのに。彼女がいないと幸せになれないのだから。
いっそのこと忘れていられたら。
揺らいだ思考を諫めるように雷鳴がとどろいた。
どこかの電線を焼き切った電流に、街灯が消える。
空腹を訴える胃が泣いた。
涙の代わりに溢れる飢えは何も生み出さない。
身体が飢えたところで、精神は満ちない。

雨は止まない。降り始めたのは、そう彼女のいなくなった日。
葬式にはいかなかった。泣くこともなかった。
零れない涙の代わりだと言いたげに空は泣く。
なんて陳腐な表現だろう。なんて陳腐な感情だろう。
こんなことをしたって、彼女は帰ってこない。
生きた屍のようになった彼をみて、彼女の母親は涙を流した。
それは歓喜か? 哀れみか? 絶望か?
知ったことではない。ただ彼女がいない。
たった一つの事実に、彼の心は押し潰されそうになっている。

窓を幾筋もの雨が伝う。
例えばその雨が地上に満ちて、古いこの二階建てのアパートを沈めてもきっとこの虚しさは埋まらない。
彼女を忘れ、彼女以外の女性とめぐり合うくらい、彼女の事がどうでもよくならなければ。
しかしそれは彼の本当の望みではない。
このまま悲しさも、虚しさも、寂しさも、怒りも全てを抱えて、彼は彼女を反芻する。
忘れまいと反芻する。
幸せだったことも、喧嘩していたことも、何度でもなぞり返すのだ。
寂しさは癒しだ。
寂しさに喘いでいる限り、彼は彼女を忘れていないということになる。
そのための苦しさなど、彼にとってはへでもなかった。

時計の針だけが動く狭い部屋で、彼はまた過去へ目を閉じた。

2012.09.18
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50.許さない

陰の落ちた校舎裏、フェンスで囲われたお粗末な空間に、埃臭い湿った匂いが漂っている。
あすかはいつも通り人気のないその場所に、キャンバスと木炭、絵の具を抱えて足を踏み入れた。
なんてことない毎日の日課は、誰一人知らない、密やかな楽しみだった。
そもそも絵を描くといった時点で異常者のような扱いを受ける偏見にみちた環境だ。
ましてあすかは男なのだから、周囲に知られれば、たちまち「超気持ち悪いオタク」として謂われのない非難を浴びることは目に見えていた。

普段は無音の校舎裏、しかし今日は、微かに女生徒のすすり泣く声が漏れている。
ギクリとして立ち止まった。
秘密基地が侵されたような気分に自嘲する。
ひとまず身を潜めたまま耳を澄ます。
不明瞭だが、時折聞こえてくる独り言には、心当たりがあった。
同級生の後妻みなこ。友達が沢山いるわけでも、かといって孤立しているわけでもない、ごく普通の女生徒だ。
教室の喧騒のなか、不意に聞こえる彼女の笑い声は底抜けに明るく、まさか校舎裏でひとり泣いているような図はとても想像できない。
あすかは立ち尽くしたまま、彼女が泣きやむのを待っていた。

目を赤く腫らして引き返してきた彼女とはち合わせたのは、それから十分もしないうちのことだった。
パチクリと目をまるくしてあすかを見つめるみなこの目には、次第に羞恥の色が浮かぶ。
「み、み、見てたの?」
「見てない」
「聞いてた?」
「まぁ、泣いてたのは分かるくらいに」
かっと顔全体が赤くなって、みなこはぱくぱくと口を開閉させる。
同じクラスの滅多に話さない男だから、尚更知られたくなかったんだろう。
「深く聞かないほうがいい?」
後ろ手にキャンバスを隠しながら、あすかはみなこの顔を覗きこむ。
みなこは逡巡して、制服の袖を引いた。
「じゃあ、ちょっとだけ」

はじまりは所謂恋の話だった。
みなこは決して許されないだろう恋心を抱いてしまったらしい。
仲のいい友達には気恥ずかしくて相談できず、ただひとりで抱え込んで、今まで過ごしていた。
「いつもさ、一緒にいるあきらじゃ駄目なの?」
「だ、駄目駄目! 絶対駄目!」
三つ編みを揺らしながら左右に首を振るその必死さに、思わずあすかは笑う。
「恥ずかしいから?」
「恥ずかしいっていうか、それもあるけど」
「あきらが好きだから?」
にわかに顔を赤くしたみなこに、ふとしかけた冗談が当たっていたことを知る。
内心戸惑いを隠せなかったが、考えてみればありえないこともない。
なにせ入学以来二人はずっと一緒にいたのだ。
あきらというのは、あすかの幼なじみの女の子のことだ。
自己主張の弱い彼女は、人並みに自己主張のできるみなこと仲良くなった。
クラスが別れた今も、休み時間の度にどちらかがどちらかを訪問するかたちで、毎日顔をあわせない日はなかった。
「で、どうして泣いてたの?」
「引かないの? おんなじ女の子好きになるとかさ、変じゃない?」
「変だっていうか、数が少ないだけだろ」
あすかを見つめたまま、みなこはしばらく黙り込んで、決意したように顔を上げると言葉を絞り出した。
「さっき教室でさ、そういう話になったんだけど、流石に言えなくて、そしたらかなちゃんが、みなこはあきらしか見てないもんねぇって冗談を言って、私はそれに反応しちゃって、あれよあれよと場が引いていって……」
「バレたんだ」
「言い逃れられなくて……」
双眸に涙をいっぱいに溜めて、みなこは俯いた。
要するに、クラスの中の一体感どころか、とんでもない異分子をあぶり出してしまったわけだ。
あすかは唐突にキャンバスを取り出し、あきらの似顔絵を描いた。優しい絵柄に、みなこはじっと見入る。
「あのさ、俺、絵描くんだ」
「そうなんだ……あのクラスでバレたら大変だね」
「うん。でもやめる気ないし。後妻もそうなんだろ? ハブられんなら、あきらと一緒に隠れちゃえよ。大体ここか体育館裏は人がいないから」
みなこはあすかから受け取った似顔絵を抱きしめて、深く頷いた。
幼なじみの親友だからか定かではないが、あすかはみなこの心境に深い共感を得た。
自分が絵という「もの」に恋しているように、彼女は同性を好きになった。
「前妻くんて優しいんだね」
「惚れた?」
「まさか」
ただそれだけで、自分たちを、彼女を異常者扱いする価値観を考えると、あすかは苛立ってしかたがなかった。
好きになんの罪がある。
他人に害を与えないことの何が罪だ。
精神的な害だなんだとのたまう奴がいるが、実際のところ、その害は自分自身で傷ついて優越感に浸っているだけだ。
もしこの恋が許されないなら、俺はこの世界を許さない。

2012.09.19
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