1.ほおづえついて

悪趣味になったものだなぁと、自分でもつくづく感じさせられる。
嫌味ったらしい青い空は、今日もどこかのカップルに祝杯を挙げて、どこかの勝利を賞賛していて、どこかの非人道的行為を霧散させる。
目の前で繰り広げられるミュージカルは悲劇。
さしずめロミオとジュリエットのような……いや、それほど綺麗でもない。
一人の女と、二人の男。男は女の両足に縋りつき、大声で泣き叫んでいる。
いい大人が外聞も恥もなく、よく感情に走れるものだ。

ここはステージの舞台裏。美しい彼女といかにも幸福そうな男の実体。
皮肉なことに、彼らは毒薬を飲まされて、もうじきに息絶えるのだ。
僕は何度も何度もこの光景を目にしてきた。
いつもこの場所で同じ時間に開演され、それから三十分ほどで幕を閉じる、酷く短い粗末な物語。
俺を棄てないで、ずっと一緒にいさせてなんて、まるで昼間の暗鬱なドラマだ。
そういえば最近巷ではいわゆるバッドエンドな物語が好まれると聞いた。
だとすれば、これはうってつけのものなんじゃあなかろうか。

徐々に男の手が女の足からずり落ちて、女が男の体重に耐えれなくなり地面に座り込む。
慈しむようなその目は、どこまでも暗く明るかった。
真っ黒な双眸は光を失い、ただ赤い紅だけが映える。
ただ弧を描いていた唇がぱかりと薄く開き、おやすみと男に告げる。
それだけで男は救われたように笑顔を見せて、ぱたりと脱力した。
彼が縋り付いてからぴったり三十分の出来事だ。

もう一人の男は意識を失った男を見て、悲鳴を上げた。
助けてくれと、棄てないでくれと喚いて、そうじゃなきゃ道連れにしてやるなんて。
あれ、もしかしたらジュリエットは心中したくて、意識のある中でロミオが息絶えるのを待ちわびていたのかもしれない。
ああでも僕はあんまりよんだことが無いんだった。妙なことを吹聴するのはやめよう。

さて、あと十秒ほどでもう一人の終わりがくる。
同じストーリーを延々と繰り返す路地裏のステージ。
変異を捜し求めて、僕は今日も無料で覗き見る。
彼らの真横という特等席で、遺体に頬杖を付いて、かつて飲み込んだ毒薬の味を思い出しながら。

2011.03.01
back


2.秘密

皆が寝静まった夜半。
微かな光が暗闇に差し込んで、するりと彼女は入り込んできた。
横になり瞼を下ろす僕の傍らに座り、毛布の中に潜った手を冷気に晒し、愛おしそうに撫でる。
女性特有の柔肌が腕の産毛を逆立て、肌が粟立つのを感じた。
「なに、してんだ」
問いに答える音は無い。
彼女がこうして夜な夜な惰眠を貪る僕の部屋に忍び込んでは人肌を求めるようになったのは、ちょうど三年前のことだった。
それから二日に一度の頻度で、真っ暗で寂しい夜中に彼女は僕の部屋を訪れる。
ふと思索に耽っていると、構われないことが不快なのか、彼女は掌をきつく握り締めてきた。
視線を寄越せば、ちゅ、と軽いリップ音と共に手の甲に唇が落とされる。
何度も何度も存在を確認しているように、慎重に、丁寧に。
僕はもう狼狽するのにも疲弊しきってしまって、ただ目を閉じてその柔らかな感触に身を委ねていた。

「ごめんなさい」
鈴のような音が鳴る。
暗闇に押し殺された声は、静寂に慣らされた耳にとってあまりに鮮明だった。
「なにが?」
「本当は駄目なんでしょ」
「そうだね」
彼女の呼吸が止まり、生唾を飲む音がした。ゴトリと重い、想い言葉。
僕には所謂ガールフレンドというものにも恵まれていて、ただひとりの想い人がいた。
けれど彼女はそれを分かっていながら、姑息にも僕を縛りつけようとするのだ。
伏せられた瞳に、罪悪感などカケラも見当たらない。
ただあるのは嫉みに妬み、羨み、憎悪、それから愛。

「くちづけていい?」
初めての言葉に僕は少し目を見開いた。
間髪入れずに僕の薄く開いた唇に、手の甲が知りつくした感触が覆いかぶさる。
億劫な腕を上げて、その身体を押し返せば、彼女の目は涙に潤んでいた。
「どうして、泣いてるの?」
なんて残酷な質問。拒否することなんて分かりきっているのに、どうして問うのだろう。
自問自答の結果は墜落。彼女との間に沈黙が落ちた。

「……あなたが、好きで、息が苦しい」
だから酸素をちょうだいと彼女は言った。
その声はか細くて、まるで彼女の周囲だけ空気が極端に薄いように思われる。
つうと伝う雫は手の甲に残る温かみを急速に奪い去り、それが僕の意志ごと根こそぎ取って行ってしまった。
嘆息を漏らした僕に、肩を揺らして観察するような瞳を向ける。
僅かな光を反射した眼球は、ガラス球のようだった。


「じゃあ僕が酸素ボンベになってあげるよ」


垂れるこうべを抱きよせて、小さくくちづけを落とす。
窒息死なんてあんまりにかわいそうだから。

寒い冬の日、最愛の愚妹と交わした秘密。

2011.03.02
back


3.再会

「……俺の後を継いだの?」

空に粉を散らしたように星が輝く。
ビルを背に、バタバタと場違いなマントが二つ分、はためいては夜空を隠した。
表情を持たない言葉は、空気に溶けて消える。
彼と対峙するカレは、微動だにせず足元の夜景を見つめるだけだった。
暗鬱な静寂。
あまりの重みを含んだそれに、彼は表情を顰める。
「どうして?君は、俺とは違うって言っていたじゃないか」
張り詰めていく憎悪の密度。
それは彼にとってカレが発しえない種のもので、暗く苦らく、濁っていた。
「ねぇ、追跡者くん――」
ひゅっ、と音は切り裂かれ、彼の眼前に「嘗て彼が使用していた」鉤が突き出されたる。
鉄錆のこびりついた鉤は、一度も手入れされた様子がない。
カレは、彼の残された右目に悪意を向ける。
彼は命であるアイデンティティを奪われることを理解し、カレの鉤を見据えた。

「俺を殺すの?」
「……だって」

ぴりりと震えた空気は、頬を掠める。
小さな切り傷を伴って、深く心に突き刺さった。

「アンタがいなくなってから、世界が崩れ始めたんだ。物語が壊れ始めたんだ。まずアンタの"被害者"が消えた。存在すらしなくなった。そして今度は"アンタ"が消えた。誰にも認識されなくなっていった。あれほど新聞もテレビもインターネットでさえアンタに夢中だったのに、幻だったみたいに全部消えたんだ。そしたら呼応して俺の"妹の左目"が消えたんだ。妹が消えたんだ。あんたの"模倣者"の被害者が消えたんだ。そしたらその次は模倣者が消えたんだ。物語が壊れていくんだ。なくなっていくんだ。全部なかったことになるんだ。どうしていなくなったんだ、どうしてあんなやつらに着いていったの。あんた自身の物語はもういらないのかよ。そんなのアンタを"核"とした物語はどうなるんだよ。壊れるしかないだろ。ゴミ箱にいくしかないじゃないか。どうしてあんたは俺達を傷つけるばっかりで救ってくれないんだ。それなのになんで俺達はあんたがいないと生きてすらいけないんだ。どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして……!
 どうしてココが、つくられた物語なんだよ……!!」

言葉の洪水、痛みの洪水、罪の洪水。
溢れた全ては世界を埋め尽くし、住人は溺れた。
孤高のビルの上に二人、散らされた星を背にただ対峙する。
交わされる応酬は、ただ平行線を描いて、

「だから俺は、アンタ以外の核を作ろうとしたんだ。アンタが残した爪痕を核に替えてやったんだ、でも」
「俺はその核を壊しにきた。ここは平行の物語なんだ、終わらない。終わらないものは終わらせなくてはならない」
「あんたは俺を壊しに来た、それに抗って何が悪い」
「君自身を壊す気は無い、ただ核を壊しにきた」
「それは、俺が死ぬのと同義だよ」
「嘘。君は追跡者だ。核じゃない。俺が壊すのは」
「違うよ。元追跡者で、今は――」
「「眼球泥棒」」

物語を脱したものと、物語に残されたもの。

2011.03.05
back


4.好き

赤い噴水が虹を描く。
ただ一色の手抜きなアートは、小さくわたしの頬を汚した。
粘性の感触に思わず手を這わせると、乾いた指先が水分を貪る。
白い空も、茶色い土も、わたしの眼球もどれも等しく赤色に染まって、まるで画家がインクを零したようだ。
「だとすればこれは失敗作?」
口を開けば流れ込む錆びた味。
口腔の唾液と混じって桃色になったそれを地面に吐き出した。
込みあがる嘔吐感と笑いに腹をおさえれば、潰れた中身が音を立てる。
胃の内容物の代わりに涙が止め処なく溢れ出し、地の赤を薄めた。
ひゅうひゅうと掠れた呼吸がやけに大きく響いて、聴覚を満たしていく。
暗く霞んだ視界は、周囲でなにがおこっているのかさえ把握させない。

「違う……」

右耳が僅かな足音を捉えて、反射的に右手がその音を裂く。
地面に広がる赤は、じわりと靴を濡らし肌から体温を奪っていった。
ぶわりぶわりとブレて、浮遊感を伴った行動。
脳が悲鳴を上げて拒否しているのに、慣れてしまった感覚はただ反射弓を准るだけだった。

「違う、違う……!」

ウワゴトのように繰り返せど繰り返せど、聞くものもいない、変わるものもない。
ただわたしは踊るように身を削り、相手を薙ぎ払うのみ。
飽和した土の水分を手に持つ刃で跳ね上げて、相手を叩きつけ貫く。
代わる代わる汚れた眼球に映る人間はどれも綿のように脆く感じた。

「私はこんなことがしたいわけじゃない」

そう、わたしはこんなことがしたいわけじゃない。
わたしがこの身に浴びたいのは、こんな雑兵の生命じゃなくて、もっと高尚な、

                     「――――お兄様……!」


邪魔をしないで、前に立たないで、殺させないで、そんなのはわたしの望みじゃない。
わたしは早く大好きなお兄様のところに駆けていって、大好きなその身を貫きたいのに。

2011.03.08
back


5.サクラ

春が来た。
気温が徐々に上がり始め、三寒四温が終わりを告げた頃。
つい先ほどに正式に、中学生という称号を与えられ、役割を受けた日。
新しい居場所に突如飛び込まされた俺は、人間関係を円滑に進めるために早速行動を起こしていた。
出席番号が隣の女生徒に声をかけ、校内を探索する。
自己紹介などの些細な会話のあと、部活見学のためにグラウンドへ出た。
いかにも"らしく"桜が舞って雰囲気を作り上げてくれている。
それに絆されたのか、女生徒はこんなことをいいだした。
「桜の花が桃色なのは、人の血を吸ったから、って知ってる?」
「いいえ、どうしてそれで桃色になるの?」
「えっ……?」
小さく首を振って聞けば、女生徒は困った表情をして、考え込む。

しばらく沈黙が流れた。
吹き荒ぶ風で舞う桜の花弁、嬲られる髪が肌に纏わり付いて鬱陶しい。
投げやりに耳にかけても、すぐに解けてしまう。
目の前の女生徒のように一つに結べば少しは楽になるだろうか。
そういえば、かれこれ六年ほど、手入れ以外で髪に手を加えたことはなかった。
ぱちんと女生徒が手を叩いて、人差し指を天に向けた。

「あのね、血液にはヘボグロビンっていうのがあって、それが血を赤くしてるの」
「ヘモグロビン?」
「う、うん、そう。で、その赤色がおはなにうつっちゃうのね。それで桃色になるの」

ああ、なるほど。
俺は心で頷いて、小さく微笑んだ。
「そう、血は赤いのね」
言い出したくてたまらないことを心に押し殺す。
そうしなければきっと、この人間関係は終わってしまうから。

禁句を零してしまわないように、心でなんども吐き出す。
吐き出して、吐き出して、

「私、疲れたから帰宅してもいい? 沢山話せて楽しかったわ」

「うん、じゃあマタアシタね」

 手を振り女生徒と別れた。
校門は閑散としていて、人っ子一人いない。
その状況で緊張が緩んでしまい、口元が弧を描いた。
それを手の甲で隠しながらも、声を殺すことができず、辺りにただ一人の哂い声が溶ける。


「ああ、血を吸って色が染まるなら、桜は緑であるべきよね?」

2011.03.09
どっちがおかしいかな?
back